「天使と悪魔」〜運のいい人

 若いころ、ひとが齢を取って迷信深くなったり信仰を持ったりするのは、死期が近づくためだと思っていました。
 しかし自分が齢を取って分かるのは、世の中には合理では説明できないさまざまな事実があり、それを多く経験するから迷信深くなったり信心深くなったりするようなのです。

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【縁が二人をつなげる】

 例えば婿のエージュの実家は私の家から850㎞もの遠方にあり、それだけの理由で学生時代は私の取って好ましくない娘の彼でした。そんな遠いところに嫁に出すのは嫌だったからです。  しかし二人は東京で就職し、850kmが200kmまで縮んだというので私もついつい了承しまいました。後から考えると200kmも大した距離です。

 それはいいのですが家族の初顔合わせの日、私はびっくりするような事実を知ることになります。エージュの父親がこんなふうに言ったのです。
「自分の母方の祖母の家はお宅(私の家)のすぐ近くで、子どものころは何回か訪れたことがある」
 聞くと祖母の旧姓はこの辺りではありふれたものでしかも全国的には珍しい姓です。
 父親が「あまり昔過ぎて思い出せない」と言いながら語る話の中から、私はいくつかの風景を思い浮かべることができました。
 エージュの父親は東京で生まれ、大人になる前に家族で九州に移住し、本人は京都の大学を出て仕事の関係で現在の土地に移り住んだのです。
 縁とは奇なるものです。850kmの距離を置きながら、そんな繋がりがあったのです。

 ちなみに私の苗字とエージュの母親の旧姓は同じです。またエージュの家で好んで酒を嗜むのは母親と嫁のシーナだけですから、エージュの家は二代に渡って同じ姓の呑兵衛を嫁にもらったことになります。それも縁です。

 

【我が家の数字の魔法】

 ところでシーナの誕生日は平成2年の2月12日です。息子のアキュラは平成5年の5月15日、孫のハーヴは平成27年の6月16日生まれです(本当は26年の6月16日か27年の7月17日だったらよかったのですが、嫁に出した娘の子なのでそこまで揃えることはできませんでした)。
 私はちょうど20年前の平成9年7月17日に大きな手術を受け命を拾いました。

kite-cafe.hatenablog.com以下。

 最近気がついたのですが、平成9年は1997年、つまり1997年7月17日が生まれ変わりの日で、三つの同じ数字と「1」という我が家の法則はここでも働いているのです。

 

【がんになるにも運がある】

 その1997年の2月。40歳になるまで遊び惚けていた私の弟が15歳も年下の女性と結婚します(犯罪者扱い)。4月には私が学校を離れ、ある研究機関に出向します。そして5月にがんが発見されるのです。
 いったんは地元の病院で手術をするはずでしたが、結婚したばかりの弟の、義母となった人の従兄が都会のがんセンターの勤務医であることが分かり、急遽そちらに転院します。そこで名医の手術を受け、以来20年。あのとき弟が結婚していなければがんセンターの医療を受けることはなかったし、そもそもあのとき学校勤務を続けていたら病院に行くのも遅れたろうし入院自体も簡単ではありませんでした。

 とんでもない不摂生をしていた時期なので病気になるのは仕方ないにしても、その他のことは完璧、私が病気になることを見越して弟は結婚し、私も学校を離れていつでも入院できる態勢をを取っていた、そんなふうにしか思えないのです。  運に恵まれている――死なないわけです。

 

【運がいいのは「運がいい」と思っている人だけ】

 以上、もちろんそれらすべては偶然です。そこに「縁」だの「運」だのといった意味を与えたのは私自身です。  長く生きてきましたから逆にその人生から悪いことだけを抜き出せば、そこに「悪縁」や「悪運」の物語を紡ぎ出すこともできたかもしれません。しかし私はしない、そういう性質ではないからです。

 誰から聞いた話か覚えていないのですが、
「運を呼び寄せるのは『自分は運がいい』と思っている人だけ」 なのだそうです。
 同じ人生から天使を呼び寄せるか、悪魔を招き入れるか――平凡な結論ですが、それは本人次第というしかありません。
 それにしても、ほんとうにあれらは偶然だったのかな?

(参考)

kite-cafe.hatenablog.com