カイト・カフェ

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「誰も学校なんて大事だとは思っていない」〜森友学園問題、築地移転問題の中で気がついたこと

 森友問題・加計問題、いずれも決定打がないままズルズルと続くので「モリでもカケでもいいからサッサとやっとくれ」と蕎麦屋の主人に文句を言うようなチャチャが入って、私もいよいよ「いい加減にしろよ」と思っているうちに、けっこう深刻なレベルに入ってきたみたいです。

 おそらく本来は政権を揺るがすような大問題ではなかったはずですが、素人目にもいかにも雑でした。
 特に、最後は認めることになる文科省内部の文書については、やはり「ある」こと「残っている」ことを前提に処理すべきだったと私も思います。前川前次官に肩入れするつもりはさらさらないのですが、「ある」(かもしれない)ものをロクに調べもせずに「ない」と突っぱねたところから問題がややこしくなりました。

 もちろん隠ぺいが目的だったという可能性もありますが、それだったらなおさら最後まで隠し通せるものなのか、じっくりと慎重に検討しなくてはなりません。ウソをつき続けることは正直に話してしまうことに比べたらむちゃくちゃたいへんで胆力のいることなのですから。

 そう考えるとやはり安倍首相や菅官房長官の対応は雑で、傲慢のそしりを受けても仕方ないもので、危機管理という点でも問題です。ほんとうになぜあそこまで不用意でいられたか――。

【森友問題でとり残されること】

 さて国会は訳の分からない籠池さんの森友学園から、前川前次官を得て筋の良さそうな加計学園へとシフトしたみたいで、このままだと森友問題は検察扱い、大阪府扱になって忘れられてしまうかもしれません。しかし私にはどうしても解せないことがあって、それを誰も問題にしないまま森友問題が消えてしまうのは、どうにもこうにも我慢がならないのでここに少し記しておこうと思います。

 それは、なぜあんな場所に学校を建てることに誰も反対せず、今日までマスメディアは繰り返し繰り返し――繰り返し繰り返し扱いながら、なぜ誰もそのことを疑問に思わず問題としなかったのかということです。
 だって森友学園が建設を進めていた小学校の土地は伊丹空港への進入路に当たっていて、大型ジェット機が繰り返し繰り返し、超低空で飛行するような騒音対策地域なのですよ。
 テレビ局が取材している最中もしばしば頭の上を通過して、マイクが音を拾えない場合もあったのです。
 しかも土地を掘ればゴミが出て来る、高速道路は背にしている・・・。

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森友学園建設予定地上空を飛ぶジェット旅客機)

 もちろん校舎の騒音対策は万全でしょうし、周囲は文教地区で他にも学校はあります。しかしもともとあることと新しく造ることは違います。
 万が一の航空機事故に対しても対処できる校舎などとても考えられませんし、ゴミのことを考えると土地がどれだけ汚れているのかもわかりません。だから森友学園が買わなかった半分の土地は豊中市が公園にして、敢えて危険な道を選ばなかったのです。
 なのに籠池氏はここに学校を建てようとした。近畿財務局はそれを承知で土地を売ろうとし、大阪府は許可を出そうとした――おかしくありません?

 さらに言うとその豊中市の公園、14億2千万円の土地に14億円以上の補助金がついて結局2千万円ほどでの購入できたのです。森友学園の84%をはるかに上回る99%引きです。――よほどヤバイ土地に違いありません。
「そんなヤバイ土地を学校用地として売った」
 そこにこそ近畿財務局がひた隠しに隠さなければならない何かがあった――と私は思ったのですが、だ〜〜〜れもそんなことは言わない。

 裏に高速道、正面からはジェット旅客機、土地を掘ればゴミ捨て場、そんな場所に学校を建てることに、籠池さんはもちろん大阪府も近畿財務局も日本中のマスコミも、な〜〜〜んにもお感じない、というのが実に腹立たしい。

【そう言えば】

 そう言えば結局お蔵入りになりましたがつい二か月ほど前、東京では「豊洲を更地にして築地を再整備」などといった話が出たことがありました。

 案によると更地にとなった清州には大型マンションやショッピングモールを誘致し、一大ウォーターフロント・シティをつくりあげようというのです。その完成予想図というものまで出てきて、そこにはチャッカリ学校まで描かれていました。
 私はキレました。

 コンクリートでがっちり囲い込んだ閉鎖的な豊洲市場の建物内に置く、死んだ魚は心配でも、汚染された土地の校庭で元気よく遊ぶ、生きた子どもの心配は全くしないのです。あれほど“危険だ、危険だ、危険だ、だから捨てる”といった豊洲に、学校ならいいのです。
 そんな馬鹿なことはあるのか!と相当に怒ったのですが、マスコミはだ〜〜〜れも問題にしませんでした。

 私はどこかで考えるべき要素を見落としていますか? 私だけが間違っているのかしら?

【政治に翻弄される学校】

 考えてみると“学校”などというものは常に政治に振り回されてきました。
 私の近隣の河岸段丘の町では、段丘の上の段と下の段で引っ張り合いした結果崖っぷちに校舎を建てることになりました。おかげで危険すぎて避難所にできないどころか、別に生徒の緊急避難場所を定めたりしています。玄関を入るといきなり大階段で5〜6mも登ってから廊下に出る学校って、すごいでしょ? 各学年ごと校舎が山肌に連なっているのです(体育館が一番上)。

 また別のある市では巨大化した中学校を二分するのに、「川向こうの連中と一緒の学校は嫌だ」とかいった差別意識が動いて、その挙句、新設中学校は各学年1クラス、残った中学校は1学年8クラスと、何のために二分したのかよく分からない結果に陥ったところもあります。

 口を開けば「教育は国の礎」「子どもは地域の宝」とか言いながら、政治が絡むとこの始末です。

 結局子どものことを本気で考えているのは、親と先生だけなのかもしれません。