カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「殺人者はすぐ隣にいる」~ネットにおける距離の問題①

 主要7カ国首脳会議(伊勢志摩サミット)が始まりました。ニュースを見るとテロ対策の話題ばかりで、ぼーっとしていると会議でどんなことが話し合われるのかなかなか頭に入ってきません。言ってみれば、
「何も決まらなくていいから無事終わってほしい」
 そんな気さえしてきます。しかし何はともあれ、無事を祈るとともに実り多い成果を期待したいところです。

 ところで、東京の小金井で起きたアイドル刺傷事件、これがサミット前の忙しい時期でなかったら警察はもっとキメの細かな対応をしていただろうか、そんなこと考えながらニュースを見ていているうちに、私は妙なことに気づきました――と言うか、おそらく多くの人たちは気づいていただろうに私がまったく気づいていなかった、そういう事実があったことに気づいたのです。
 文が変で何のことかわかりませんよね。
 要するにこれが「京都に住む男が東京の片隅(小金井といえば都心から見ると田舎でしょう)で活動する、一般的にはほとんど無名のアイドルに恋をして起こした事件」だということに今さらながら驚かされたのです。
 しかも容疑者は社会人で被害者は学生。言ってよければ高校中退と現役女子大生、さらに言ってよければ風采の上がらない男とアイドルと呼ばれるほどの美人、およそ接点らしいところの見つからない二人の間で事件が起こったのです。
 私が若かったころは――と息巻くまでもなくほんの十数年前まで、こうした二人が言葉を交わし疑似的にしろ交際する可能性はほとんどなかったはずです。

 もちろんファンによる襲撃という点では美空ひばりの硫酸事件(このときの加害者は女性)まで遡れますが、それでも加害者と被害者の間には距離があった、芸能人から声をかけるということはなかった、CD(昔はレコード)を買えばスターと握手できるということもなかった、そもそも1m以内といった近距離に近づくこともできなかった。文字通り“スター”は天空に輝き“アイドル”は偶像であり崇拝物だったのです。
 ところが現代のアイドルは手が届く――。

 Twitterに残されたやり取りの中にはこんな一説がありました。
「腕時計をプレゼントする意味を知っていますか? 大切に 使ってくださいね」
 私は意味を知らなかったのでネット検索にかけると、同様に理解できない人がたくさんいてあちこちで質問しています。答えは基本的にどれもこれも同じで、「同じ時を歩んでいこう」だそうです。
 ところで容疑者の男は、同じことを高校時代同級生に、社会人になってから同僚に、あるいは友だちに、あるいは知り合った女性したのだろうか――。
 推測で申し訳ないのですが、おそらくそれはできなかった、できなかったからこそ被害者女性に執着した、そう思えるのです。目の前の女性を口説くのに忙しいようでは、アイドルどころではないからです。

 遠い――地理的にも環境的にも属性も、すべてにおいて遠いアイドルが心理的には近く、目の前の生身の女性は声もかけられないほど心理的に遠い――こうした逆転(ないし混乱)はなぜ起こるのでしょう。

 一時期「リアルとバーチャルの混乱」という言い方が流行りましたが、アイドルとファンの関係もリアルです。自分が生きる現実世界とネットを通して存在するもう一つの現実世界が併存して進む、いわばパラレルワールドなのです(ただしルールが違う)。

 先日あつかったロシアとウクライナの場合(「そしてテレビは戦争を煽った」)もそうでしたが、メディアを通すと別のリアル(=現実)が発生してしまう。
 匂うはずのない火焔瓶や硝煙や同胞の血の匂いをマスメディアの映像を通して嗅ぎ、感じるはずのない肌のぬくもりを感じる、そしてその温かみが消えていく――。
 ネットワークメディアの文章や画像を通して相手の体温を感じ息を感じる――地理的には数百kmの、そして人間関係としてはさらに数倍の距離があるにもかかわらず、です。

 (この稿、続く)