カイト・カフェ

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「心の正距方位図法」~ネットにおける距離の問題②

 球形の地球を二次元の用紙に正確に写すことはできない、だからすべての地図は不正確である――中学校の地理で最初に学ぶ内容のひとつです(今でもそうかな?)。そしてそのために様々な世界地図、メルカトル図法だのモルワイデ図法などを学ばなくてはいけなくなるのですが、中でも馴染みにくいのが正距方位図法です。
 なぜ馴染みにくいのかというと、それぞれの大陸や国の形がこれまで見慣れていたものとまったく違い南アメリカ大陸などそれと言われても分からない、ユーラシア大陸アメリカ大陸が妙に小さく南極大陸が島の形をしている、それが第一。
 第二は中学校や高校の地理の時間に勉強したきり二度とお目にかからない、使ったことがない、なんのためにあるのかわからない、そういった事情があります。
 それはこの図法が航空機専用だからです。

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 正距方位図法の名のごとく、距離と方位だけが「正」であとは全部(面積や形)でたらめなのです。しかも図の中心にある都市から見て正しい距離と正しい方位を示しているだけで、同じものは他の都市からは使えません。それぞれの都市で違う地図ができてしまうのです。
 外国までの距離と方位ですから基本的には国際空港のある都市でしか必要はありません。しかしもしかしたら大陸間弾道ミサイルの秘密サイロのある町では作ってあるのかもしれません。

 航空機やミサイルは飛んでいく方向と航続距離さえわかればいいので、形はどうでもよくなります。上の地図は東京を中心としたもので、オリンピックの開かれるリオデジャネイロはほぼ真東で、ニューヨークは北北東、パリは北北西に位置することがわかります。南アメリカ大陸がほぼ円弧に沿ってあるのは、この大陸のほとんどの都市と東京はほぼ等距離にあることを示しています。それで全部です。

 ところで同じ発想で、“ひとの心の距離の正距方位図”をつくったらどうなるでしょう?
 例えば今日の私にとって三重県の賢島はかなり近い距離にあります。関心がありますから。長崎は私の隣の県です。ネット上の友だちがいますから。しかし大分や宮崎は長崎よりずっと西にあります。友だちも親戚もいませんので。そんなふうな地図です。
 北朝鮮ピョンヤンは韓国のソウルよりずっと手前にあります。ペキンもかなり近いです。リオデジャネイロはじわじわと近づきつつあります。三か月もしないうちに隣町くらいになってしまうかもしれません。
 そう考えると心の正距方位図は刻々と変化することがわかります。
 小金井のアイドル刺傷事件の容疑者にとって、東京は京都に隣接するくらい近かったはずです。勤務する会社はそれよりずっと遠くにあったのかもしれません。

 話は変わるみたいですが、私が子どものころ、世界は私の自宅の周辺、半径100m以内程度の広さしかありませんでした。正確に言えば通学路と小学校の敷地も「私の世界」でしたがそれ以上ではありません。
 私は好むと好まざるとによらず、その世界で生きていくしかありませんでした。
 いいヤツもいましたが嫌なヤツもいっぱいいて、「半径100mの世界」の辺境に住む“ヒロシ”などはいわば性質の悪いジャイアンで、私たちはしょっちゅう逃げ回っていました(「ワー! ヒロシが来たー!」)。関わりたくないのですが、とにかく向こうが近所をウロウロしているから困るのです。

 ところが今の子どもたちは違います。
 今の子どもたちは嫌なら自転車で隣町へ行ってしまえばいいのです。嫌なヤツとは関わらず好きな友だちとだけ交わっていればいいのです。
 考えてみると赤ん坊の時からそうでした。現在の母親は私の母親たちと違って地域に縛られません。その気になったら自家用車か電車か電動アシスト自転車に乗って気の合う人とだけ会っていればいいのです。向こう三軒両隣の人よりも数キロ先の友だちのことの方がよく理解できています。
 あるいは半径10km以内に知己がなく、ネットを通して何百kmも先にたくさんの友だちがいるという人だってあるかもしれません。
 心の正距方位図、描いてみると自分の意外な面も見えてくるのかもしれません。
(と、ここまで書いてそう言えば昔、「心の正距方位図」を一生懸命に描いていたことを思い出しました。そのころは「心の正距方位図」などと言わず、「ソシオグラム」と言っていました。来週はそのこと書いてみたいと思います)