「テレビドラマ『コウノドリ』のリアリティと原作マンガの裾野」

 昨日はテレビドラマの悪口を書きましたが、もちろんすぐれた作品もあります。
下町ロケット」(私は見ていない)はたいへんな評判ですし、NHKの朝の連ドラ「朝がきた」は視聴率を25%まで上げようとしています(あの時間帯に4軒に1軒の割合で見ているわけです)。他にも評判のよい番組はあるんですが中でも「コウノドリ」という総合病院の産科を舞台にした医療ドラマは、これまで見てきたものの中で飛び抜けて優れたものだと私は感じています。少なくとも新生児があそこまで新生児らしく画面に出て来るテレビドラマはこれまでありませんでした。
「1週間後、出産を終えた〇〇は赤ん坊とともに退院しました」といった場面で、抱かれている子どもがどう見てもひと月はたっているだろうと思われても、そこはそこ、テレビのお約束で、時代劇で着物の一部さえも着られないまま人が死んでいくのと同じだと、そんなふうに見過ごすのが普通でしたが、「コウノドリ」の場合、出産場面で今まさに産道から出てきた赤ん坊までがそれらしいのです(たぶん実写)。
 新生児室の場面でも、これも必死に生きているような小さな赤ん坊が何人も写ったりしていて、そのリアリティに圧倒されます。

 リアリティと言えば先週の回ではこんな場面がありました。中学生の女の子が出産することになるのですが、家庭的に育てられない赤ん坊は、出産直後、分娩室で泣きながら首を横に振る母親の手から取り上げられ、そのまま別室で待機する里親の手に引き渡されていくのです。
 実際にそういうやり方をするかどうか、私は知りません。しかしこの6月に出産した私の娘やその時生まれた赤ん坊のことを考えると、実の母親の手から引き離す時間が1時間遅れればその分だけ決心が鈍り、1週間も手元に置いたら前後もわきまえずにその子を手放せない状況になるのは必然だと思えるのです。逆にいえば、できるだけ早く取り上げてしまうことが親切です。
 里親の方にしても、すっかり落ち着いて安心できるところで受け入れるのと、実際に産んだかの如くその場で受け取るのとでは、覚悟が違ってくるでしょう。

 ひと昔前だったら、中学生であっても周囲の支援を受けて二人で育てていくというハッピーエンドになっていくところでしょうが、現実世界ではなかなかそうはいきません。冷静に考えれば、祖父母に当たる人たちが育てていくか、それが無理なら里子に出すというのが赤ん坊や本人たちの幸せを考える上で正しい判断ということになります。それが「コウノドリ」のリアリティです。先週の回について言えば、そうした現実を知らせる意味でも、そのまま中学生の性教育に使えると思えるほど質の高いものでした。

 テレビドラマ「コウノドリ」は鈴ノ木ユウという人が描いた同名のマンガが原作で、妻の出産に立会って感動しその感動を伝えようとして作品化したといいます。医学的知識があるのではなく、取材によってこれを仕上げました。
 同様にマンガを原作とするテレビドラマや映画は驚くほど多く、現在放送されている10月の新番組だけでも「孤独のグルメ Season5」「BARレモン・ハート」「エンジェル・ハート」「5→9 〜私に恋したイケメンすぎるお坊さん〜」「釣りバカ日誌〜新入社員 浜崎伝助〜」「いつかティファニーで朝食をサムライせんせい」「サイレーン 刑事×彼女×完全悪女」「監獄学園-プリズンスクール」とこれだけあります。

 アメリカ映画でもスーパーマンスパイダーマンなどのようにマンガやアニメを原作とする映画やドラマがあります。しかしこれだけ多いのは日本だけでしょう。しかも原作マンガ自体が大人向けというのは日本に限られるはずです。
 日本に青年漫画(聞きなれない言葉ですが、そういう分類があるそうです)が定着したのはいつごろなのか――これにははっきりとした記憶があります。
 それは1970年代のことです。

(この稿、続く)