「太平洋戦争開戦の日」

 今日12月8日は日本軍による真珠湾攻撃のあった日、つまり太平洋戦争開戦の祈念の日です。

 1941年12月8日午前2時40分(ハワイ時間7日午前7時10分)に攻撃が始まり、日本国民には午前7時の臨時ニュースで知らされました。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は今八日未明 西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」

 その有名な一節から始まる放送です(ちなみに「大本営発表」はこれが第一回で、終戦の年の8月14日まで計840回行われたそうです)。

 今や太平洋戦争を知る人が少なくなり、稀にテレビドラマで扱われる“戦争”もわが身のこととしては現実感を失って、遠い遠い出来事のように感じられます。けれど戦争はそれほど昔のことではないのかもしれません。遠い昔のことと思っていたら足元をすくわれるような思いをしたことがあるからです。

 映画「ALWAYS 3丁目の夕日」を見ていた時のことです。主人公が生活する自動車修理工場に初めてテレビが入る場面で、出演者のひとり(堤真一さん)がこんなこと言うのです。

「あー、思い起こせば戦争から還って早13年――」

 私はその瞬間、椅子から滑り落ちそうになりました。映画の設定が昭和33年ですから「13年」は間違いないのですが、その年すでに私は生まれていて、一応生活者だったのです。私が生きた時代の、わずか13年前まで、戦争は現実に動いていたのです。

 私の生まれ育った田舎町には戦争の爪あとなどはひとかけらもなく、普通に平和な時代の、平和な町の風景しか見えませんでした。戦争がそんなに身近だとは、思いもしないことでした。

 しかしよく考えてみると、“そう言えば”と思い出すこともあります。それはたとえば、お祭りに出かけたりすると必ずいた傷痍軍人たちの姿です。

 そう言われても見たことのない人には分からないと思うのですが、祭りの入口に近い薄暗いところに、白い病院着で軍の帽子をかぶった数人が、寂しそうに立っていたのです。足のない人、手のない人・・・たいていそのうちの一人はアコーディオンを抱え、松葉杖に寄りかかかって悲しい軍歌などを演奏しています。祭りに来た人たちはまるで入場料のように、その人たちの前に置かれた箱に喜捨を投げ入れて行くのです。その様子が怖くて怖くて、それだけでお祭りに行くのが辛かったことを覚えています。

 他には、近くの高校のグランド隅に残っていた防空壕の記憶――。ゴミ捨て場になっていてほとんど埋まったその中で、幼馴染と火遊びをしていたらスプレー缶に火が入り爆発して殺虫剤で全身が真っ黄色になったこと――それですべてです。戦争は遠く、しかしそれでもわずか十数年前のできごとだったのです。

 私は一時期、世の中を見るのに「これが戦争で死んで行った人たちが守ろうとしていた日本なのか」と憤ることが多かったような気がします。世の中がほんとうにつまらない方向に進んでいると感じていたころです。

 けれど今は違います。私たちも含め、戦後の世代はかなり良い国をつくりました。あの戦争で亡くなった人たちに恥じない社会を実現したのだと思っています。