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「今日は火星人来襲の日」~信じられる社会事象・歴史とは何なのだろう

 今日10月30日は、95年前に宇宙人が合衆国に降り立った日、
 ――というか降り立ったと信じられた日だ。
 ニュージャージー州には騒動を記録する記念碑(*1)まであるが、
 さて、その実態は・・・。
という話。(写真:フォトAC)

【火星人来襲の日】

 1938年の今日、10月30日はアメリカ合衆国ニュージャージー州ローヴァーズ・ミル(Grovers Mill=現在のウエスト・ウインザー)に火星人が降り立った日です――と言うか、降り立ったと信じられた日です。
 
 この日の夜8時過ぎ、アメリカCBSラジオはハロウィーンに合わせた特別番組を放送していたのですが、音楽放送の途中で「ニュージャージーに宇宙船らしき物体が着陸したようだ」という臨時ニュースが入り、一度は音楽に戻ったものの、再び、三度、中断され、ついには番組を切り上げて特別ニュース番組に変更されます。地上に降り立ったのはどうやら火星人らしく、極めて好戦的で町が次々と襲われる様子が続々と放送局に入ってきます。これには放送を聞いていた全米1200万人の人々が緊張し、名指しされたグローヴァーズ・ミルでは一部が納屋に籠って臨戦態勢を取り、近隣では銃を手にしてた男たちが次々と着陸地点とおぼしき場所に向かいました。
 郡警察や州兵局・地方放送局にも次々と問い合わせの電話が入り、ようやく事態を知ったCBSは臨時ニュースに別の臨時ニュースをさしはさみます。
「これは現実のできごとではありません。H.G.ウェルズ原作のラジオドラマ『宇宙戦争』の一部であって、火星人はどこにも来てはおりません」

 しかしいったん火のついたパニックは容易に収まらず、《いよいよ放送局まで占拠されて偽の情報が流されている》といった噂まで広がって、最終的にニュージャージーの自警団の銃を下ろさせるまで二日も要したといいます。
 世界恐慌の前年、背景に緊張する世界情勢を背景に人々が外敵に敏感になっていたことがあり、電話の普及もパニックの拡散に大きな影響を与えたといいます。

【事件のその後】

 このドラマの脚本を書いたのは有名なアメリカの映画監督・脚本家、それと同時に名優でもあったオーソン・ウェルズです。H.G.ウェルズの原作をオーソン・ウェルズが脚色するという絶妙の組み合わせで起こったパニックでしたが、これによってオーソン・ウェルズの名が全米に轟くと共に、《本物のニュースを模したドラマを制作してはいけない》といった細かルールを定めた「放送倫理規定」制定のきっかけとなるものでした。

 オーソン・ウェルズの脚色した「宇宙戦争」は封印されて二度と放送されることがないはずでしたが、いつの間にかスペイン語に翻訳され、1949年、エクアドルのキトで放送されたそうです。そしてこの時も市内にパニックを引き起こし、放送が事実でないと分かるとパニックは暴動に発展して放送局が襲われ、関係者7名が殺されたといいます。それを最後に、オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」は二度と電波に乗ることはなかったのです。
 
 アメリカでは事件を題材にしたテレビ映画がつくられ、日本でも何年に一度かの割合で取り上げられ、社会心理学や放送倫理の問題として議論されてきました。
 私もたぶんそうした放送を通じて事件のことを知り、二十歳前後のころ、さらに丁寧に調べたのでこの話題は一種の“十八番”だったのです。ところが――、

【都市伝説】

 今日がその10月30日なので、これを話題にしようと確認のためWikipediaを開いたら、真っ先にこんな、とんでもない文が目に入って来ました。
「現在では根拠のない都市伝説として否定されている」
 あれ?
 内容を読むと、

  1. 全国の警察に膨大な量の問い合わせの電話があったことは事実であるが、それ以上の行動が起こったという証拠はほとんどない。
  2. 多くの新聞に掲載された「猟銃で火星人を待ち受けるグローヴァーズ・ミルの農場主」の写真も、放送翌日にカメラマンの要請で撮られたヤラセ写真であることが判明している。
  3.  ラジオ番組『宇宙戦争』そのものの聴取率もきわめて低く、わずか2%にすぎなかった。
  4. ウェルズ自身も後年、「パニックが起きたというのは新聞記者たちの思い込みによるでっちあげだった」と回想している。

 しかしこの騒動のすべてがウソという訳ではなく、

  1.  パニックが起きたとするセンセーショナルな新聞記事があふれ、メディアの中で事実にもとづかない都市伝説が形成されたこと自体は事実である。
  2.  アメリカの火星人来襲パニックは都市伝説であったが、1949年にエクアドルのキトで起こったパニック=暴動はほぼその通りである。
  3.  1975年にアメリカで制作されたテレビドラマ「アメリカを震撼させた夜」は、都市伝説のパニックがあたかも存在したかのように描いたもので、日本では1977年2月26日にNHK総合にて初放送された。その後は様々な局などで再放送が行われている。

 おそらく私は1977年の「アメリカを震撼させた夜」を見て引き込まれ、今日までそういうものだと信じ続けてきたのです。

【信じられるものは何だろう】

 「~震撼させた夜」がつくられた1975年と言えば《事件》からわずか47年後、令和5年の現在から数えると昭和51年(1976年)の事件についてドラマを作っているようなものです。生存者はいくらでもいたはずなのに、なぜこんな大げさな伝説が解明できなかったのか――。

 いずれにしろ私にとっては1600年に関ヶ原の戦いがあったのと同じくらい確実に存在した「火星人来襲パニック」が、実はなかったなんて!
 私たちは何を頼りに社会や歴史を学んだら良いのでしょう?

*1: