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「沖縄に借りがあるが、返すアテがない」~沖縄慰霊の日に

 今日は沖縄慰霊の日。78年前の今日、沖縄戦終結した。
 私たちは沖縄に借りがある。しかし国際情勢はそれを返すことを許さないのだ。
 せめて亡くなった人たちの死がムダにならないよう、
 きちんとした国を維持し、先に繋げていこうと思う。
という話。(写真:フォトAC)

【沖縄慰霊の日】

 今日6月23日は沖縄慰霊の日です。
 1945年のこの日、沖縄県で当時の日本帝国陸軍第32軍司令官、牛島満中将(後の大将)と長勇参謀長(後の中将)が自決し、日本軍としての組織的抵抗が終わったと考えられています。
 戦闘は3月26日に始まり、日本軍11万6400人と米軍54万8000人が正面からぶつかり合う形でちょうど3か月続き、この日に至ったのです。
 米軍の死者はおよそ2万人。対する日本のそれは軍人がおよそ9万4000人、民間人の死者行方不明者も9万4000人と言われています。軍人のうち6万6000人弱が沖縄県以外の出身ですから残りの2万8000人が沖縄出身兵。民間人の9万4000人と合わせると12万2000人あまりの沖縄出身者が亡くなったことになります。
 戦争前の沖縄県の人口は約49万人ですから、実に沖縄県民の4人にひとりが亡くなった計算になります。
 
 江戸時代以前は対外的に独立国であり続けた沖縄は、その意味でも日本に借りのひとつもなかった国です。それが明治維新期に日本国に飲み込まれ、第二次世界大戦ではわが国で唯一、地上戦を戦わされた県となり、25%もの人口を失わされたのです。

【私たちは沖縄に借りがあるが、返すアテがない】

 日本の政治家の中には、歴史的に沖縄に大きな借りがあると信じて疑わない人たちがかなりいました。いまもいます。もちろん民間にもそういう人は少なくありません。私もそうです。

 こうしたひとたちを中心に、何とかその大きな借りを返したいという思いはけっして小さくないのですが、沖縄の戦略上の重要さは第二次世界大戦のころと変わらないどころか、いっそう高まっていまや日本の橋頭保のようになっています。
 今すぐに軍事的な負担を減らして借りを返すという、沖縄県民にとってもっとも望ましい恩返しがますますできない。むしろさらに軍備を拡充したい――そこに人々の大きなジレンマがあります。
 重要な問題だけに、いい加減にすることなく、考えていきたいと思います。
 

【あまりにも大きな犠牲は、どこかで贖われなくてはならない】

 さてウクライナの戦争で今日までに死んだ兵士は、ウクライナ1万5500~1万7500人、ロシア3万5500~4万3000人と言われています。両軍合わせて5万~6万人と言ったところでしょうか(2023.04.13ロイター通信)。軍事機密なので正確な数字は出てきません。民間人の死者はウクライナにしかなく、8490人だと報道されています(2023.04.11ロイター通信)。

 しかし1945年3月から6月にかけてのわずか三か月間に、沖縄ではウクライナ戦争で1年間に亡くなった兵士の3~4倍が死に、11倍もの民間人が犠牲になったのです。それも我が国の為政者の判断ミスと優柔不断のためでした。

 現代の世界は第二次世界大戦の反省の上に成り立っていますから、ウクライナは大きな戦争であるにも関わらず死傷者が少ないという面があります。しかしそれにしても沖縄戦に先立つ東京大空襲も含め、沖縄戦終結後の広島・長崎なども考えると、それぞれの街や島で数カ月・数時間の間に、あるいは一瞬のうちに亡くなった人たちのあまりの多さに、粛然とせざるを得ません*1

 3月9日(東京大空襲)、6月26日(沖縄慰霊の日)、8月6日(広島原爆忌)、8月9日(長崎原爆忌)、8月15日(終戦記念日)。
 私ももちろん「戦争を知らない世代」ですが、これらの祈念の日を迎えるたびに、先人の尊い犠牲の上に成り立っているこの国を、きちんとした形のまま、次の世代に引き継がねばならないと気持ちを新たにしたものです。

*1:東京大空襲の死者8万4000人、広島・長崎はそれぞれ14万人・7万4000人