「非婚の時代」�@

 87歳の母の手元にある見合い写真が三枚。いずれも三十代後半の女性のもので、友人から預かったと言います。しかし男性の手札が一枚もなく、そこで私に相談が持ちかけられるのですがこちらの手持ちもゼロ。それどころか私自身にも気になっている女性のカードが3枚もあります。そこで弟に話を振り向けたらこちらには男性カードが相当あるらしく、二つ返事で「おう、当たってみる」

――それから数週間、弟が言うには、

「まったく参った。誰も結婚する気がない」

――のだそうです。

 三十代は優柔不断で「まだ、その気になれない」。40代になると突然、「今さら面倒で・・・」。「そもそもなぜ結婚しなくてはならないのかわからない」、そうまで言う人もいたといいます。

「返す言葉がなかった――」

 確かに、「なぜ結婚しなればならないか」と問われて、常識を振り回すのではなく、説教めくこともなく、きちんと納得させるのは容易ではなさそうです。現代では、結婚は“しなくてはならない”ものではないのかもしれないのです。

 昔は違いました。結婚しなければならない必然性が幾重にもにあったのです。

 そのひとつは経済性です。

「ひとつ口は食えないが二つ口は食える」というように独身は不経済なのです。たとえばキャベツをひとつ買っても、独身者だとしばしば半分も無駄にしてしまいます。しかし二人ならそうした不経済は回避されます(ここで「だったら半切りまたは四分の一切りのキャベツを買えばいいのに」というのは現代の商慣行にどっぷり漬かりすぎた人です。冷蔵庫のない時代、キャベツは切って売られるということはなかったのです)。コタツもコンロも電燈も、二人で使えば半額です。

 みんなが貧しかった時代、この経済性は非常に重要で、独身者は“貴族”ではなく、単なる貧乏人だったのです。

 当時、夕飯はともかく、朝飯を食べさせてくれる食堂やレストランなどありませんでした。夜も9時を過ぎると外食はできませんし買うこともできません。

(セブン・イレブンが画期的なのは「朝は7時から、夜は11時まで」営業したからです。それだけで、社会は革命的に変化しました。しかしその革命的変化がわずか30年ほど前の事件だということを、私たちはしばしば忘れます。また、もはや若い人の中には “セブン・イレブン”の由来さえ知らない人が多数になっているのかもしれません)

 家に食事を作ってくれる人がいないとしばしば食いあぶれる――そうした状況は、特に男性に強い結婚願望を生み出します。家に帰っておいしいご飯が食べたいのです。

 男性が「食べる」ために結婚を渇望しはじめるとき、女性も別の意味で「食べるため」に結婚せざるを得ない状況に押しつぶされていきます。当時の女性は社会の重要な部分から遠ざけられていましたから、給与も頭打ち、独身であることの意義を仕事に求めることもできなかったのです。

 

 そういう状態ですから「結婚できない人」はいても、「結婚しない人」はほとんどいませんでした。そうなるともう、それだけで十分な結婚圧力です。それも「結婚しなければならない」重要な理由となります。非婚の人は半人前、もしかしたらそれ以下だったのです。

                                   (この稿、続く)