「ワールドカップサッカーと松本サリン」

 ワールドカップサッカーも決勝トーナメントに入って、今日はコロンビアが快勝。

「もしかしたら今日のこの位置に日本がいたかもしれない」

 気持ちの奥にまだ2週間前の雰囲気が残っていて、「コロンビアもウルグアイも敵じゃない」とそんな錯覚がチラつきます。しかしこの両チーム、あるいは10回戦っても1回勝てるかどうか、それほどの差があるのかもしれません。

 思えばわずか数週間前まで、1次リーグはまあなんとか、決勝トーナメントもとりあえず一勝、とか思っていたのが開幕直前になって評論家の発現が急激にトーンダウン。

「日本が決勝トーナメントに進出する可能性は50%」

って、4チーム中2チームなら50%に決まっているだろうとツッコミを入れたくなるような発言が次々。

「日本は堅守速攻に徹すべし」など、明日試合という日に言うことか?

そして1勝もできずに終了すると、「実は本田は手術をしていた」とかチーム内の不和とか、合同練習が不足していとか・・・、そんなことは開幕前に分かっていただろうに、なぜ事前に出せなかったのか。

 私はそういうところにマスコミの恣意といい加減さを感じます。

 一昨日は「松本サリン事件」の祈念日でした。20年目ということもあって今年の扱いはいつもにまして大きかったようです。マスコミの誤った報道といった側面からの扱いも少なくはありませんでした。しかしそれでも不十分でした。

 10年前の報道で、忘れられない一言があります。それは(正確ではありませんが)、

「救急車で運ばれる際に、河野氏は『農薬を調合していて失敗した』と語っていた」というものです。後から考えると絶対にありえない発言です。しかしそれがあのときはまかり通った。

 しかもメディア全体が「河野=犯人説」だったため、すべての情報にバイアスがかかって流されていく。

サリンは誰にでも製造できる」

サリンになる直前の物質があれば家庭内の器具でも調合できる」

 しかしその「サリンになる直前の物質」は一民間人に購入できるものではなく、「大量購入」となると政府の研究機関ですら不可能なことでした。その点は一切報道されません。

 すべてが明るみに出て第ナントカ・サティアンとか呼ばれる研究棟の大プラントを見せられた時、私たちの常識的感覚は初めて戻ってきました。

 そんなに安易に生成できる毒ガスなら、とっくに世界中で規制の網がかかっていたはずです。簡単にできないからこそ化学兵器としていくつかの政府に独占されているのです。

 そんな当たり前のことが、メディアはなぜ分からなかったのか。分かっていながらわざと書かなかったのか、そうした点については十分な検証がされませんでした。あるいは検証しても、生かす気持ちはなかったということなのかもしれません。

 97年の酒鬼薔薇事件の際は犯人逮捕の直前まで、「黒い服を着た30歳前後のがっちりした体格の男」が問題になっていました。あの人はどうなったのでしょう。最近の東京都議会のセクハラ野次についても、メディアはすでに発言者を確定しているはずです。しかし誰も書かきません。

 分かっていないのに書く、分かっていても書かない、メディアのこうした恣意に私たちは耐えていかなければならないのです。