「お母さんの好きなこと」

 申し訳ありません、ふたたびお呼び立てして。先日お話ししたとき、

「ウチの子は、自分がやられたことについてはものすごく詳しく覚えているのです。やったことについてはほとんど話しませんが・・・」

 そんなふうにおっしゃいましたよね。あのとき私は、子どもにはよくあることだと、そんなふうに言って次の話題に進んでしまいました。しかしあれから家に帰って何か胸につかえたようで、ずいぶん苦になったのです。

 確かに啓介くん、“やられたこと”についてはとても詳しく覚えています。もしかしたら「子どもにはよくあること」というレベルを越えているかもしれません。ほんのわずかの差なのですが、やはりちょっとしっかりしすぎているような、そんな感じなのです。それはなぜだろうか、そんなふうに考えているうちにふと思ったのは、もしかしたらそれはお母さんの一番好きなことだからなのかもしれないということです。好きなことと言えば語弊がありますね。お母さんが一番熱心に聞いてくれること、そう言った方がいいでしょう。

 私はこれについて、昨年いろいろ考えたのです。

 去年の夏、市内の中学校で先生が生徒にヘッドロックをかけ、汚い言葉を吐いてゲンコツで殴ったという体罰事件がありました。覚えていらっしゃいます? 「ふざけたバカヤローめ」 そう言って何度も頭を小突いたのです。新聞記事にもなって、ずいぶん話題にもなりました。いまどきそこまでやる教師は少ないのです。けれどその人はやった。

 結局その先生は半年間、薬を飲みながら謹慎生活を送ったり研修を受けたりしながら暮らして、この春に退職されました。まだ30代の若い先生です。

 事件はほぼ新聞記事の通りです。しかし実際に様子を聞いてみると、「体罰」というのとは多少違います。その先生と“被害”の生徒は、部活でも一緒の非常に仲の良い間柄なのです。ヘッドロックも汚い言葉も言わばじゃれあっているようなもので、その子は“被害”のあいだじゅうヘラヘラしていました。“事件”のあとも、教師を訴えようなど微塵も思っていなかったのです。

 これをマスコミに訴えたのは別の生徒でした。正確に言えばその子が“事実”を母親に伝え、その母親がマスコミに訴えたのです。学校に対してとても批判的な方です。教師の不正や非違行為が大好きなのです。事件を見ていた生徒は母親にそのことを報せます。母親はとても熱心に話を聞き、ともに考えてくれます。それは母子にとって非常に濃密な、至福の時間です。

 もちろん先生のやったことは誉められたことではありませんし、うかつと言えばうかつです。しかし体罰というのとはだいぶ違います。県教委が重大処分にしなかったのも、そうした事情を組んでのことでしょうが、だからといって処分をしないわけにはいかなかったのです。

 啓介くんの中にも、それと似たことが起ってくるのかもしれない。このあいだ私の胸の中に浮かんだ疑念はそれです。お母さんは、啓介くんのことを心配するあまり、そうした話が出るたびにいつに増して熱心に話を聞かれるのではないか、そう思うのです。

 お母さん、お忙しいですよね。仕事を持っているうえに双子の弟さんまでいる。その双子さんが生まれた瞬間から、啓介くんがお母さんから与えられる愛情は三分の一になってしまいました。どの家でも同じです。子どもが二人なら二分の一、三人なら三分の一、しかも一番上の子は手のかからない分さらに少ない、それが当たりまえです。しかしその愛情の減った分は濃密な時間で埋め合わされなければならない、それが子どもの感じ方です。お母さんが真剣に話を聞いてくれる時間がどうしても必要なのです。

 子どもは、特に男の子は、知ったかぶりをして偉そうな話をすることが大好きです。だからお母さんが子どもの新しい知識、学校で学んだことや本で読んだこと友だちから聞いた話に興味を持てば、その子はいくらでも新しい知識の話をします。そのためにさまざまなことを覚えて帰ります。

 ひとに誉められ話をしたらお母さんが飛び上がって喜んだ、そうした経験をした子どもは選択的に誉められた話題を持ち帰ろうとします。お母さんが先生の悪口を好む人なら、そうした話ばかりを採集して帰るでしょう。

 そしてお母さんがわが子を心配し、子どもが少しでも傷つけば我慢ならないと待ちかまえれば、その子はそうしたことだけをしっかりと記憶しそんな話ばかりを家に持ち帰る、そういうことではないかと思うのです。そうなるともう、その子は立派な「いじめられっ子」です。抵抗しませんから。総体的にみると、やられて帰った方が得なのですから。

 そんなことを考えて胸を燻らせながら、そして今日、お話しする気になったのです。もちろんこれは単なる仮説にすぎませんが・・・。