カイト・カフェ

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「氷の微笑」~怖ろしい保護者の一面を見た話

 これまでたくさんの保護者を見てきました。
 本当に心から尊敬できる人もいれば首を傾げる人も、あるいは子どもが可哀想になる場合も理解できない場合もあります。理解できないというのは「この親からどうしてこんな良い子が育ってくるのか」という場合もあれば、逆に「なぜこれほど保護者の下でこんな悲惨なことがなぜ起こるのか」という場合もあります。のちになって分かる場合も、そのまま分からずじまいのままの場合もありました。

 そんなケースのひとつ。かつて私が担任していた小学校4年生男子の母親の話です。

 その子は大変見栄えの良い、ひ弱な男の子でした。勉強もそこそこスポーツもそこそこ、無口で常に視線がオドオドと落ち着かないような子です。二つ年上の姉は大柄の美人で、しかしこちらもひ弱で、不登校傾向の強いおとなしい子です。
 父親は普通のサラリーマン。忙しい人でついに最後までお会いすることはありませんでした。母親は二人の親にふさわしいたいへんな美人で、利発でものわかりの良い人です。子どもに過剰な期待を寄せるわけでもなく、ただ人並みに普通のくらしをしてほしい、そんな願いをもって子どもに接していました。成績のことも苦にしている様子はありません。
 姉の不登校は心配なようで、担任にはなんども相談を持ちかけていました。けれどそのことで学校や教師を批判することは一切ありません。いろいろな意味で理想的な母親で、どうしてこんなに難しい子どもが育ってしまうのか、とても不思議でした。しかしやがて分かる日が来ます

 私が覚えているのは姉の方のプール参観、水泳記録会のことです。なにしろ学校を休みがちで水泳も苦手な“姉”の出場種目は「25m自由形トライアル」です。なんとか25m泳いでみようということです。6年生でその種目に出場する子は稀ですが、練習のときは何度かうまく行ったのできっと本番も成功するだろう、担任はそう目論んで焚き付けたのです。
 ところが弱い子はやはり弱い面があります。同級生や保護者たちの大声援の中でスタートした“姉”は、25mの半分も泳ぎ切らずに立ってしまったのです。表情はよく見えませんでしたが顔の水を拭ってもう一度泳ぎ始めます。その瞬間です。応援に来ていた母親がさっと踵を返して娘の方を一顧だにせず、プールサイドを後にするのを私は見てしまいました。白い日傘の下で、目が鬼のように燃えています。怒りのあまり、私に見られていることさえ気づきません。

 ああこれだと私は思いました。
 甘く、温かく、優しい言葉、それと裏腹の冷たく刺すように燃える視線――言葉で引き寄せて表情で殴る、これではたまりません。姉弟はこうした二律背反にずっと晒され続けてきたのです。
「私に栄誉を与えない子どもなら、いらない」
 学校を出ていくその後ろ姿は、まるでそう言い切っているかのようでした。しかしこの人は口に出して言ったことは一度もないはずです。言葉は常にものわかりの良い、優しいものだったにちがいありません。

 子どもたちは家庭でどう育てられて来るのか。これは私がずっと心してきたテーマです。しかし言うまでもなく、日常の姿を観察し続けることはできません。常に心の隅に置き、子どものことを考えるときにいつも気にしていたことです。