カイト・カフェ

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「後悔」~私が救ってやれなかったLDの児童

 その子は小学校5年生で担任したとき、すでにかなり厄介な感じでした。基本的にはそこそこ能力のあるまじめで素直な女の子なのですが、とにかくキレ易い。非常にエキセントリックで感情の起伏が激しく、そうかと思うと突然プツンと切れて教室を飛び出す、部屋の片隅でしゃがみこんで固まってしまう。

 年じゅう爪を噛んでいるのですがその噛みかたが妙で、手前に向けた両手を寄せ、指を軽く曲げてトウモロコシを食べるみたいに左右に振りながら噛むのです。ですから10本の指の爪はいつもボロボロでした。

 中学生の優秀な兄と仕事熱心だがあまり家にはいない父親、神経質で厳しい母親。当時一種の心理学マニアだった私はそこから困難な家庭の典型的な構図を思い浮かべていました。この子の問題は家族関係を変えなければ解消しないと。

 しかし担任してからの1年半は意外なほどそこそこうまくやれました。私は子どもの緊張をほぐすのは割りと得手なのです。そして6年生の1学期が終わり夏休みがあけて、そろそろこの子の将来が見えてきたと思った矢先、10月の中ごろからそれこそ急坂を転げ落ちるように状況が悪くなって元の木阿弥に戻ってしまったのです。6年生も半分以上終わったと言うのに5年生の初めに戻ってしまった。そこからしばらくは私なりに努力もしましたが、もう誰の目にも素人の手に負える段階ではないことは明らかでした。

 12月の懇談会で保護者と話し、苦労してカウンセラーを探し(というのは、私の知っている2〜3の機関はすべて男性のカウンセラーで、なんとなくこの児童には向かないとう強い思いがあったからです)2月に入って相談にかけました(予約がいっぱいでなかなか入れなかったのです)。

 その結果3月になって、子どもは学習障害(LD)だという判定を受けて帰ってきました。とにかく耳から入った数字が保持できない、たとえば「4、8、7」と覚えさせ、「逆から言ってごらん」と指示しても悲しいほどできないとのことでした。その「悲しいほどできない」という言葉に私は胸を衝かれました。心当たりがあったからです。

 そう言えば算数の答え合わせのとき、私が解答を読み上げている最中に突然「せんせ〜、もう一度言って〜」と、妙に甘えたりからかったりするような声で中断させることが再三でした。私はそのふざけた調子に苛立って、たぶん「しっかり聞いてろ」とか「いい加減にしろ」とかいった感じで対応していたに違いありません。その間、おそらくこの子はとてつもなく悲しい思いをしながら、聞き取れない自分を冗談のようにしてごまかしていたのです。この子の困難は家族が原因なのではなく、私が原因だったのです。
(これはそのときのカウンセラーの指導の中で分かったことですが、心の問題の検査は「重篤なものや客観的に判断できるもの」から進め、最後に「家族関係や社会関係の問題」として考えるという段階を追っています。この子の場合はLDの判定が出たところで検査は終了し、他はすべてLDの二次障害と考えるところから治療を始めるのです。もちろん私の見立ての通り家族関係にも問題があり二重の困難を抱えているという可能性がないわけではありませんが、LDとその二次障害という明確な問題に十分な配慮がなされない限り、他に問題があるかどうか見えてこないからです)

 私には時間がありませんでした。もう卒業式が目の前だったのです。結局、中学校を訪ねて(私としては)十分な申し送りをしてそれでおしまいにしてしまった、それ私の後悔です。
 算数の答え合わせの対応なんて簡単でした。口で言うだけでなく、答えを黒板に書いてやればよかっただけのことです。この子は目からの情報は確実に入るのですから。

 担任知識がないばかりに送った何という無駄な2年間だったのか、その思いは長く引きずることになりました。