カイト・カフェ

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「見ているようで見ていない」~体験が経験にならない不思議な話

 NHK大河ドラマではしばしば月が出て来る。
 しかしその「月」を、
 私たちは見ているようで、実は見ていない。
 なんでもかんでも経験すれば何とかなるというものではないのだ、
という話。(写真:SuperT)

大河ドラマが今年も面白そう】

 昨年一年間、ほんとうに楽しませてもらったNHK大河ドラマ「光る君へ」が終わり、今月から「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」が始まりました。
 舞台となるのは江戸中期~後期の吉原遊郭です。実は学生時代から江戸の文化史には興味があって、吉原のこともけっこう勉強してきたのです。ですから「日本堤」だの「見返り柳」だの、あるいは「仲之町」だの「河岸見世(かしみせ)」だのといった単語には馴染みがあり、これから一年間、また楽しませてもらえるかもしれないとウキウキしています。
 ただし平安貴族の世界からいきなり江戸時代の遊郭ですから落差について行けず、少々戸惑ってもいます(高低差ありすぎて耳、キーンなるわ!)。慣れて楽しむまでには、もう少々時間がかかりそうです。

【古き時代の夜、見るべきものは月くらいしかなかった】

 昨夜(1月14日)は満月でした。タイトルの写真は昨夜、私が撮ったものです(化け猫みたい・・・)。
 「光る君へ」では道長とまひろ(紫式部)との結びつきを象徴的に表していたのが満月で、ふたりは一緒に、あるいは一人ひとり別の場所で、満月を見上げる場面が繰り返し出てきました。「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」でも今週の第二回で、雲間から顔を出した満月が、光り輝く吉原遊郭を上空から煌々と照らす場面が出てきました。(写真:NHK
 考えてみれば平安や江戸の昔でなくても、家々に電灯がつくようになる前は、夜、屋外で見えたのは月と星くらいなものでした。月が煌々と照れば星も見えない。
 月が繰り返し和歌や俳句で扱われるのは、そうした状況があってのことだとよくわかります。だからたいていの人は月の出るころにはすでに眠っていたはずです(吉原以外では)。

【月はどこから昇ってどこに沈むの?】

 ところで、昨夜見た月には特別な特徴がありました。東の山の端の、とんでもなく北よりの位置か昇ってきたのです。そして今朝は西山の、これもとんでもなく北寄りの位置に沈んで行きます。ただし今回の満月がこの冬、最北かというとそうではなく、ひと月前の12月15日の満月はさらに北の方から昇り、北の方に沈んで行ったはずです。冬至(12月21日)にもっとも近い満月だったからです。

 これは覚えておくと都合のよい知識ですが、
冬至の月の軌道は、夏至の太陽の軌道と同じ」
夏至の月の軌道は、冬至の太陽の軌道と同じ)

なのです。夏の太陽がかなり北よりから昇り、昼はほぼ天中といっていい高さにあって、やがて西の北外れに沈むように、真冬の月も東山のかなり北寄りから上がって天中にさしかかり、北西のかなり深い位置に沈むのです。
 夏の月はそれとは逆で、東山の南寄りから昇って、天のかなり浅い位置を通過して、南南西に近い西山に沈みます。ちょうど冬の太陽の動く位置に重なるのです。

 滅多に見上げることはないとは言え、月は誰でも知っている巨大な天体で、それなのに、
「冬の月は南北どちら寄りから昇って沈む?」
 そう聞かれて即答できるひとは案外いないものなのです。

【意味づけされない体験は“経験”にならない】

 学習において体験は何よりも重視されるものです。押し付けではなく自らが体験した、自らが調べたという事実が重要なのですが、だからと言って子どもは“体験さえさせておけば成長する”というものでもありません。世の中には第二次世界大戦のような巨大な体験を通しても何も学ばない、何の変化も起こさない人という人もいるのです。
 体験は検討・吟味されなければ経験として定着することはありせん。ただ見ただけ、ただ体験しただけで終わってしまいます。
 
 月だけではありません。誰でも体験しているはずなのに意味づけされないために定着しない知識は他にもあります。次のような質問に、理由つきで答えられるひとはどれくらいいるでしょう?

《問題》

  1.  学校の教室は、ほとんどの場合、西向きに設計されていて、だから黒板は西壁につけられている。ほんとうか。
  2. 教室のカーテン、授業中に引くのは夏のことである。正しいか間違いか。