今年、興味を持ったことは集約すると三つ。
“集団”を失っても私たちは生きて行けるのか、
日本人を日本人に育てる教育は何が何でも残す、
そして、光る君へ
という話。(写真:フォトAC)
【「不適切にもほどがある」が指摘した令和の違和感】
今年前半のテレビドラマでもっとも心躍らせたのは流行語大賞にもなった「不適切にもほどがある」でした。中高年の圧倒的支持を取りつけ、昭和の風物が面白ワールドにしか見えないZ世代もウケて大評判となったドラマでしたが、30年かけて葬って来た昭和のセクハラ・パワハラ体質を懐古・復活させようという試みだと、一部から激しく非難された作品でもあります。
典型的昭和オヤジ・体罰教師の小川市郎が令和にタイムスリップし、現代の価値観に合わせようとしながらも繰り返し訴える、「これ、おかしくねえか?」「いくら何でもやりすぎじゃねえか」という感じは、私たち昭和世代の内心を代弁するものであり、だからこそ反発も強かったのかもしれません。
ただ、いくら「昭和(古い価値観)」だの「老害」だのと言われても、親が子を気遣い、「まだ結婚しないのか」「赤ちゃんはまだか」と訊ねるのもセクハラだという感覚は、なかなか受け入れられるものではありません。
それが多くの場合、子どもの嫌がる話だということは、親も分かっているのです。しかし子どもが嫌がりそうな話は一切してはいけないということになると、家族は正常な関係を築けません。心の中にわだかまるような大事なことは、すべて隠されてしまうからです。
「人の嫌がることは言ったりしたりしてはいません」は絶対的な道徳律ではありません。それを絶対真理とすると、一緒に暮らしていながら、「食器くらい片付けたらどう?」も「早くお風呂に入りなさい」も、「ストーブをつけっ放しで寝ないでちょうだい」も言えなくなってしまいます。そんなバカなことはないでしょう。
もちろんこれは、世の中の大部分と同じように「程度の問題」です。しかしその「程度」あるいは「不適切のほど」は、本来、互いに言い合って、ぶつかりあって、話し合って、探るべきもので、最初から「人の嫌がることは言ったりしたりしてはいません」では話にならないのです。
【中間組織を解体して、家族は裸になる】
最近「里ハラ」という言葉を覚えました*1。
盆暮れに里帰りはしたくない、特に配偶者の実家(今は義実家というようです)には行きたくないという話は以前からありました。しかしそれに対して親たちが「里帰りしろ」「盆暮れには帰ってこい」というのがハラスメント(里帰りハラスメント)だという見方は新しいものでしょう。
ハラスメントと言われると抵抗しようがありませんから、親も帰って来いと言わなくなります。盆暮れさえ帰らない子どもたちがそれ以外のときに帰省するとも思えません。ですから自然に足は遠のきます。私の近くにはいませんが、「もう5年も里帰りしていない」とか「10年以上子どもとはあっていない」といった話も訊かないわけではありません。実質的な家族の解体です。
あの人たちは家を建てるとか子どもの学費が足りないとかいったときも、親から援助を受けないつもりなのでしょうか? 遺産相続の席で相続人名簿に名前がなくても、黙って引き下がるのでしょうか? あるいは、親が高齢で徘徊など世間に迷惑をかけるようになっても、平然と放置するのでしょうか? 「その時になって対応する」では間に合わないこともあります。
いやその前に、「家族」を最小の核家族1単位(夫婦と子どもだけ)だけにしてしまい、それ以上の親族・姻族関係からいっさい身を引いてしまって、どうしてあの人たちは不安にならず、生きていかれるのでしょう?
私たちはすでに労働組合を死に体にし、町内会を骨抜きにして、PTAも各地で潰しつつあります。会社からも家族主義的な要素が外されようとして、今まさに「家族」からも肉を削ぎ落して最小のものにしようとしています。つまりほとんどの中間組織から自由になって面倒のなくなった分、危機の際にはひとりで立ち向かっていかなくてはなっています。私には現代の日本人がそこまで強くなったとは思えないのですが、いかがでしょう。
*1:「夫の実家に行きたくない」義実家への帰省強要はハラスメント? 年末年始に気をつけたい“さとハラ”とは
【臆病者の私は安泰】
私は臆病者ですから、親戚や友達が大事です。特に「親戚」は、私の亡きあと、妻や子や孫に何かあったら助けてもらわなくてはならない人たちですから重要です。
幸いここ2~3年の間に、娘婿の妹と弟、それに私の息子のアキュラと、立て続けに3組の結婚式があり、姻戚が突然増えました。私の家族を守ってくれる人たちが、どんどん増えているわけです。
先月(11月)、孫2号のイーツが七五三祝いをして、その折に娘夫婦が両方の家族に声を掛けたら全員が参加。孫二人に大人12人という賑やかな会になりました。みんな仲が良いですから一安心です。
【日本人を日本人に育てる教育(特別活動)は何が何でも残す】
日本人を日本人に育てる教育(学校の「特別活動」)が削減されつつある――それが今の私の一番の危惧です。これについてはつい先日も書いたばかりなので今日は繰り返しませんが、きっかけは今年1月2日に起こった「日航機・海保機衝突事故」でした*2。
日航機の400人近い乗員乗客は、全員がたった三か所の出口から、わずか18分で脱出できた――この奇跡をマスコミは優秀なCAと訓練の成果として紹介しましたが、乗客がほぼ全員が日本人で、彼らは保育園のころから何十回もの避難訓練を繰り返してきたのです。責任ある者の指示を聞くこと、順番を守ること、慌てたり騒いだりしないこと、他人を思いやること、それらは全部、学校の特別活動で学んできたことです。学びもせず、練習もしなくてできることは本能的なものだけです。
ですから「特別活動」はどんな犠牲を払っても(小学校英語をやめても、プログラミング学習を潰しても、総合的な学習の時間や全国学力学習状況調査をなくしても)守らなくてはならないものです。
*2:kite-cafe.hatenablog.com
【NHK大河ドラマ「光る君へ」とその他のこと】
NHKの大河ドラマ「光る君へ」についても何回か書きました。この60年余りの間に観た大河ドラマの中で、最も面白かった作品のひとつでした。「紫式部日記」を再読しながらの鑑賞で、「日記」に書かれていた内容がどう映像に移されるのか、そういった意味でも面白い体験でした。
「源氏物語」は20代半ばのころに谷崎潤一郎訳で読んで、そのとき買った文庫本が今も残っていたので合わせて読むつもりでした。しかし最初の数ページで挫折。あんな細かな字を何時間も読んでいられたのですから、若いころは目も根性もしっかりしていたのです。
その他、生成AIの使い方に苦しんだり、アメリカ大統領選に腹を立てたり、パリオリンピックで一喜一憂したり――生きているといろいろあるものです。
(この稿、終了)
*「カイト・カフェ」は学校の月暦に合わせて営業しているので今年はこれで終了します。来年は、これも学校に合わせて、全国で最も早い千葉市・和歌山市・岡山市・宮崎市・那覇市と同じ6日(月)スタートとします。もっとも休み中もしょっちゅう顔を出していますが――。
一年間ありがとうございました。それでは皆様、よいお年を!