カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「『お母さんはこういう話が好きだ』ということの教え直し」~かつての教え子から相談を受けた件 2

 
 すべての子どもは 親の期待に応えたいと思っている
 しかし同時に 子どもはしばしば親の期待を読み誤る
 本人は意識していないのに
 そうやって事実が捻じ曲げられる

というお話。

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【続きを待たずに来た返事】

 昨日の続きですが、私がそれを書き送る前に返事が来てしまいます・

 母と先生の文章を読みました。
 母が先生は本を出したらいーのにって言ってました(えへへ)
 私は上手に説明ができず、娘に注意する時も長々として。
 母曰く、先生の文章を読んで感じたことは、そんなに深く話に入り込んだらダメって!
 すごく細かく聞いてしまい、あたし自身がヒートアップしちゃって……
 毎回しっかり聞きすぎて、娘は余計にママが聞いてくれるからって友達に注意してケンカしたことを話してくるんだよって言います。
 話は聞くけどもっと軽く聞いてあげたら、注意することも、それに集中しなくなるんじゃないの? って。
 もっと違うことをしっかり聞いてあげられるようにもあるのかな、

 ゆっくり気持ちが落ち着いたら 私の言葉で娘に話してみます。
 注意する以外のやり方を。
 
 

【子どもはしばしば誤学習をする】

 お母さんは偉い!
(若い子ならここで「パチパチパチ」と書いたりするところですが、私はいい齢ですのでそんなふざけた書き方はしません)

「毎回しっかり聞きすぎて、娘は余計にママが聞いてくれるからって友達に注意してケンカしたことを話してくるんだよって言います」
 まったくその通りです。

 ときおり低学年のお母さんで、子どもがいじめられてはいないか、そればかりを心配する方がおられます。子どもが帰ってくると心配で心配で、学校で起こったことを一から十まで全部聞き出そうとするのです。
 子どもの方はウザくて仕方がないのですが、お母さんがあまりにも不安そうなので仕方なく付き合い続ける。その年頃の子はまだまだ親の言いつけに従いますから案外辛抱強く付き合ってくれたりするのです。しかし親を納得させられるような話はなかなかできない――。

 ところがある日、学校で友だちと嫌なことがあってうっかりその話をすると、お母さんの顔がパッと輝きます。母親にしてみればこれまで不安で不安で仕方なかったことが今こそはっきりしたのです。やはり私の予感は当たっていた、この子はいじめられている! 曖昧模糊として霧の中にいたような状態から、目の前がパッと開けた感じになります。それを子どもは誤解します。
「ああ、あんなに不安そうだったお母さんをスッキリさせるには、こういう話を持って帰ればいいんだ」

 翌日からその子は学校で嫌な思いをしたことを忘れずに持ち帰り、母親に話します。ひとつ持ち帰るだけで昔のように長々と質問されることはありません。ところがうっかり何も持たずに帰ると話はいきなりしつこくなります。
「ホントに何もなかったの? 何かあったはずよ、よく思い出して――」
 そこでどんな小さなことでも忘れないように記憶に留め、どうしてもなければ多少話を盛ってでも、何か一つは持ち帰るように心がけます。

 しかしそんなふうに毎日毎日言いつけられる同級生の方はかないません。陰での話とはいえ、親子にいじめっ子扱いされているのですから。しかもそれだけならいいのですが、やがて我慢できなくなった母親が学校に相談を掛けたりします。当然、担任はその子たちを指導します。

 身に覚えのないいじめで怒られた子の方は面白くありません。やがてその子との間に距離を取り始めます。ところが今度はそれが「無視された」「仲間外れにされた」という報告になり、再び母親が動いて担任が指導します。
 そんなことが数回か続くと、友だちの中のこらえ性のない子がこんなふうに考えます。
「やってもいないことでこんなに『いじめ』『いじめ』と言われるならもういい! 本当にイジメてやる!」
 かくして本物のいじめが始まります。お母さんが心配したことが現実になり、子どもは毎日毎日いじめられて帰るようになって、メデタシ、メデタシ・・・・(じゃないな)。
 でも、いかにもありそうな話でしょ?
 
 

【ほんとうに素敵な、バカで無能で悪い先生】

 特殊な親子の間で捏造される話というのは、何もいじめに限ったことではありません。他にも「教師がいかにバカで無能で悪人か」という話が大好きなお母さんもいますし、「学校がいかに不合理で常識外れか」かといった話の好きなお母さんもいます。そうしたお母さんを持つ子どたちは、毎日「先生の悪いところ」や「学校の不合理なところ」を探しては忘れずに持ち帰らなくてはなりません。

 例えば担任が気心の知れた生徒に「お前バカじゃネ? 死ねば?」みたいなことを仲間気分で語ったとします。直接言われた方は「気心の知れた生徒」ですから、「先生こそ死んだほうがいいと思うよ、年も年だし」とか言って笑い合います。
 ところがそれを横で聞いていた「先生の悪いところ大好き母親」の子どもは急いで家に帰って母親に報告します。
「先生が○○君に『オマエ、バカじゃねえか、死ね』と言ってた」
 母親は考えます。
「さすがにこれは自分一人の心に納めて置ける話ではない。教育委員会とかマスコミとかを動かさなければ・・・」
 かくて数日後、新聞に「担任教師、生徒に暴言、『死ね』」の記事が載ります。身に覚えのない話ではありませんから担任もしぶしぶ認めざるを得ません。
 これもよくある話です。

 K子さんのお嬢さんの場合、「友だちを注意したのに理解されなかった」という話をするたびにお母さんが真剣に話を聞いてくれるので、あえてそうした事実を中心に持ち帰っている――、そういう可能性も大いにあります。
 ですからお母さまの「そんなに深く話に入り込んだらダメ」は、大いに試してみる価値があるのです。
 もしかしたらそれがド正解です。
 
 

【「お母さんはこういう話を聞くのが好きだ」ということの教え直し】

 ただし「深入りしない」とか「さっと流す」とか「肩の力を抜くとか」――そういうのは凄く難しいですよね。「ガンバレ」とか「真剣にやれ」とか「きちんと丁寧に話を聞け」とか言われた方がよほど楽です。

 これは教師であり父親でもあった私にとっても難しいことで、まったくうまく行きませんでした。ですからアドバイスできる何事もないのですが、ある専門家はこう言っていた、ということでK子さんならできるかもしれないことをお話します。

 K子さんのお母さんならご存知だと思うのですが、かつて昭和天皇の口癖として世間に広まっていた言葉に、「あ、そう」というのがあります。それを使えばいいというのです。

 真剣に話を聞くのを避けたい場合はきちんと向かい合わず、何かの作業をしながら聞く。そしておおよそ話がひと段落したら、
「あ、そう。ところでそこのマヨネーズ取って。だし巻き卵って、ちょっとマヨネーズを入れるのがコツなのよね。やってみる?」
といった具合です。もちろんこれは基本形なので応用の仕方は考えなくてはいけませんが、一応、頭に入れておいていいことでしょう。

 ただし「話をいい加減に聞くようになった」、だけでは親子関係を崩しますから、別の部分に興味をもってきちんと話を聞く場面をつくらなくてはいけません。
 何かしていることがあればいったん手を休め、きちんと向かい合って話し合う場面も必要です。

 お母さんはこういう話を聞くのが好きだ、というのを教え直すのです。


                        (この稿、続く)