「人々は忘れている」~部活の外部指導者、教員以外に受けてがないという話

 三連休、いかがでしたか? 私はさまざまに忙しい三日間でした。しかし中学校の部活指導の先生方は、大会引率に練習にと、実質的に休めたのはほんのわずかでした。世間の人たちは生徒として保護者として、こうした実情を知っているはずなのにどうしてもっと尊敬してくれないのか、私はしばしばそんなふうに思ったりもします。他人の子のためにこんなに心血を注いでくれる人はそういないはずです。それも仕事のうち給与のうち、という人はよほど実情を知らない人たちです。ま、こんなこと、直接世間に対して言ったりはできませんが・・・。

 先週、教員はマルチ・タスク・プレーヤーだといったお話をしました。中でも部活はもっとも重い仕事のひとつです。私は初任の年、学校にまったく行かない日が年間12日(うち正月が7日)しかありませんでしたが、そうなった理由の大半は部活です。

 学校五日制になってから、子どもを家庭・地域に帰すという本来の趣旨を生かすため、土日の一方は休むように指示が出されて一時は少し楽になりました。しかしそれまで年間に350日もやっていた部活が一気に50日も減ると、どうしても戦力は落ちます。そこで社会体育による練習量の補填というアイデアが生まれ、結局もとの木阿弥にもどってしまったのです。
 もちろん社会体育も初期は節度があって、保護者運営の下で教員以外のコーチ(それはしばしば保護者自身でした)を招き入れていたのですが、野球・サッカーといったメジャーなスポーツならまだしも、バスケットボールだの体操だのとなるとコーチをできる人などおいそれと見つかるはずもありません。結局「先生以外に教えられる人がいないので」ということで教員にお鉢が回ってきます。困ったことに教員の側も、“さらに生徒を伸ばせる”と思うとどうしても手が伸びてしまいます。そしてそのために、一部ではまったく歯止めが利かなくなりました。

「休日の部活は土日いずれか一方の、午前か午後の3時間」と決めても、「社会体育」の方は保護者という名の民間人が運営する私的組織ですから学校の制約の及ぶところではありません。部活の時間を除くすべての時間が「社会体育として使える時間」となります。さらこの考え方は週日にも適用できますから、夕方の6時半まで部活をやってから一時帰宅して夕飯を取り、再び体育館に戻って8時から10時まで社会体育の練習ということも可能です。

「休日部活は土日いずれか一方の、午前か午後の3時間」
 部活が過熱しないようにと行われた施策により、逆に休みがなくなってしまったのです。昔に比べると(実質的な)部活動の時間は爆発的に増えています。

 私はここでひとつ、世の中の人々に思い出してもらいことがあります。それは今、中学生の部活動の指導をしているのがそれを生業とする専門家ではないということです。この人たちは日中の大半を学校職員として国語や数学を教え、修学旅行の計画を立て、PTA活動の下準備をしている人たちなのです。

 昨年、体罰問題が大きくマスコミの話題となった時期、「体罰に頼らない指導」「顧問の指導力のいっそうの向上」といったことが話題となりましたが、学力問題では「教師の指導力不足」、非違行為に関しては「教師の質の低下」が問題とされます。
 しかしそれらのすべてが同じ一人の教員に被せられているという事実に、気づく人はあまり多くないようです。