「外に出してもダメ、結局、問題は本体だ」〜小学校教諭の約3割、中学校教諭の約6割が「過労死ライン」⑤最終

 先週金曜日の日本テレビスッキリ!!」とNHK「金曜イチから」に端を発した今回の記事、書いているうちにきっかり一週間がたってしまいました。あれ以来教員の過剰労働を後追いする番組はなく、今回もこのまま忘れられてしまうことでしょう。
「どんなに苦しくとも結局先生たちはやってくれるんだからいいんじゃない」
といったところなのかもしれません。
 ただし二つの番組が“外部指導者というのはいいアイデアですな、これが広がれば問題解決!!”、みたいな感じで締めくくったのは気になりました。

【外部指導者なんていない】

「金曜イチから」では視聴者のメッセージとして
「スポーツ・芸術・文化、地域で経験のある人はたくさんいます。お手伝いいただいてよい」
というのを紹介していましたがそんなにいません。経験者はいても指導者となるとそうはいないのです。

 さらにその中で毎日の朝部活(7:00〜8:00)、午後の部活(16:30〜18:30)、そして土日いずれか一方の3時間の練習に継続的にかかわれる人となると極端に限られてきます。
 二つの放送で取り上げられた杉並区にしても外部指導者が配置されているのは区内23校のうちの17校36部活だけです。17校に部活が36しかないわけではないでしょう。

 杉並区と言えば人口57万人を擁し、全国に790余りある「市」と比較すると25番目の姫路市(53万人)の上をいく巨大な地域です。予算も潤沢で人材も多いはず。
 外部指導者の条件も一日2時間で週3回、それに月一度の土曜練習で時給は5000円ですから、正規の教員の休日手当てが4時間で3000円(*1)に比べて大変な厚遇です。
 それで36人しか確保できないのですから、他の市町村に何ができるというのでしょう。

 ちなみに番組で紹介された外部指導者は、ラーメン屋でアルバイトをしながら教員を目指しているという青年で、採用試験に合格すれば止めてしまう人です。継続性という点で問題があります。
(*1)誰も不思議に思わないところがかえって不思議なのですが、
「1時間750円と言えばいいところをなぜ4時間3000円というのだろう」

と考えたこと、ありません?
 これは、
「4時間やらないと一銭にもならないよ」
という意味なのです。
 この制度は休日に行う公式練習や公式試合を念頭に置いたもので、半日(4時間)または一日(8時間)が基本単位なのです。
 さらに多くの学校では生徒の心身を慮って「休日の部活動は3時間まで」という内規がありますから、普通の休日については出ないのが原則です。生徒の心身を理由にしていますが、行政に金がないためだと私は思っています。
 

【外部組織もあてにできない】

「結局メダリストと言ったってスイミング・スクールや柔道教室の出身者、プロ野球はシニアリトル、サッカーはジュニアユースの出身者ばかり、いっそのこと部活はなくしてそうした組織に任せたら」
 そういう考え方もあります。しかしそれは部活動の考え方とは根本が違います。
 教員は運動選手や一流の芸術家を育てるために部活動をしているのではなく、運動や音楽などを通して子どもを育てているのです。そこには公平性が必要なのです。途中でやめてしまう子はいるかもしれないが、とりあえず全員がスタートラインに着ける――貧しい家の子も、親の忙しい家庭の子も、教育に不熱心な両親のもとに生まれた子も、みんなひとし並みに好きなスポーツや芸術に取り組むことができる、そこが大切なのです。
 したがってどうしても学校が単位でなくてはなりません。
 

【結局、過剰になったのは本体だ】

 ところで、もう一度振り返って、部活は本当に教員過剰労働の元凶なのでしょうか?
 例えば 中学校の教員から部活を取り上げたら、過労死ラインは小学校並みの3割程度に下がるのでしょうか?
 あれ?
 そもそも過労死ライン3割ならまあいいだろうと引き下がるべき話なのでしょうか?

 先週金曜日の「金曜イチから」を見ながらとても不思議に思ったことがあります。
 それは「中学校の休日の部活動 10年前の2倍」というものです(*2)。

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 私の知るところではこの10年間、むしろ部活動は強く制限される方向にあったからです。さらに遡って、私が顧問としてやっていたころと比べると、現在の部活はむしろずっと楽になっているのです。なにしろ私たちのころは学校六日制で土曜日の午後は全部部活、翌日曜日も半日部活、祝日も部活と、ほんとうに大変だったのです(私の地域では)。
 ところがここで「それに比べたら今の先生たちは楽なもんだ」と言ったらいかにも老人臭くてかえっていいのですが、残念なことにそうではありません。全体を比べると今の先生の方がよほど大変だからです。

 体罰・精神罰といった必殺技が使えないこと、生徒を怒鳴り散らしてはいけないこと、「さん」づけで呼ぶなど優しい言葉で話さなければいけなくなったこと、したがって言葉が全体に優しくなって「怒り」が伝えにくくなったこと、保護者や社会への説明責任という概念が強調されるようになったため説明可能な指導しかできなくなったことなどは別にして、とりあえず、私が教員になったころには「総合的な学習の時間」などといっためっぽう個性的で手間のかかる授業はなかったのです。「人権教育」はありましたが「性教育」は草創期で私たちが作り上げてきたようなものです。
 それに加えて「環境教育」「食育」「情報教育」・・・。
「キャリア教育」も最近のもので、地域とのつながりが中心ですから大変です。
 全ての場面で授業がレベルアップして「地域の教育力」を生かすことが求められますから、人材を探し、交渉し、日程を合わせ打ち合わせをする――そういった事前の準備が膨大になります。
 保護者のあつかいも昔に比べるとずっとレベルの高いものが要求されます。地域への発信と行ったことも考えなくてはなりません。
 小学校で言えば生活科・小学校英語、これからはプログラミング――昔の教師に比べたらいわゆる「本業(私はそういう言い方はしませんが)」の部分が爆発的に肥大しているのです。

 40年前には学習指導要領になかったものが、今はあまりにも多くなってしまいました。
 現行制度が始まった70年前まで遡ると部活どころか道徳の授業もなく、中学校の先生は自分の教科を教えクラスの面倒を見ているだけでよかった、いじめなど大したことではないと放置し、不登校は家庭の問題でした。
「昨日露出狂にあってエライ目にあった」と生徒が嬉しそうに報告して来て、教師も一緒になって笑いあったーー。

 学校が扱う内容が増えた以上、それに見合う人員配置をしなくてはならないのに人間はまったく増えない、其れが現状です。だから先生たちが潰れて行くーーそう私は思っています。
 結局、教員を増やすしかないのです。

  (この稿、終了)
(*2)調べたところ10年前は平均1時間4分だったのが28年度は2時間10分になったということで、要するに計算の魔術なのでしょう。休日部活が1時間や2時間で済むはずがありません。せっかく出て来たのにもったいない。
 地域差があり、主顧問と副顧問の差があり、部活の種類による差(演劇部や美術部などは休日部活が少ない)がある。それを平均しての2時間10分なのです。

 もちろんそれでも2倍になったという事実は精査してみる価値がありますが。