昨日、学校を出たところで素敵な親子連れに会いました。松倉先生の奥様とお嬢さん、そして胸に抱かれた赤ちゃんです。ちょうど夕方の散歩から戻ってきたところという感じでした。
はじめは松倉先生のご家族と気づかずに声をかけたのですが、未知のお爺に声をかけられたお嬢さんの警戒心はギラギラ、しかし逃げたり隠れたりするのは失礼なので私はがんばる、という感じでその場に踏ん張っています。
挨拶をするときちんと返してくれました。赤ちゃんはお母さんの抱っこ紐の中で、ゆったりと丸まっていました。男の子だそうです。
一姫二太郎。
――昔から「女の子一人に男の子二人の三人兄弟」と間違われますが、第一子が女の子、第二子が男の子という意味です。
「女の子は病気も少なく育てやすい上に、少し大きくなるとお手伝いもしてくれるから二子が生まれたときにとても助かる、だから最初が女の子で次に長男が生まれてくる、それが理想」
ということです(“太郎”は男の子ではなく、“長男”という意味)。
昔はとかく跡取り息子の誕生が望まれましたから、女の子が生まれるとがっかりする家族も多く、そんな場合の慰めの言葉としても使われたみたいです。しかしこの「一姫二太郎=女の子は育てやすいから〜」、私にとっては本当に“実感”です。
ずいぶん年が行ってから結婚したので、結婚生活にも父親になることにあまり不安はありませんでした。実際に子育てが始まってもうまく対応できたように思います。
若い家族もそれはそれで素敵ですが年を取ってから親になるのも悪いことではないと、自分の働きにけっこう満足し、自信も持っていたのです。しかしそんな自信は息子の誕生とともに瓦解します。とにかく男の子は病気が多い、危険に近づきたがる、言うことをきかないのです。
最初の検診でガンの疑いがあると言われ、赤十字病院で丸一日検査を受けることになります。睾丸のガンだそうです。妻は「ガンと決まって取っちゃうことになったら、この子は結局お坊さんになるしかないのかしら」とか言います。しかしそうした気楽な問題でもないでしょう。最後は“原因不明、ガンではない”ということになりましたが、長い長い一日でした。
一年が経ち、妻が職場復帰をすると待っていたかのように肺炎で入院、ようやく治って“今日は退院”という朝も顔が土気色で元気がありません。おかしいなあと思いながら支払いを済ませ、さあ帰ろうと抱き上げた瞬間に嘔吐、院内感染の胃腸炎でそのまま入院延長です。その後も病気がたえません。
体幹がしっかりしてから“食事の際に便利”ということで歩行器に座らせておいたら、そのまま移動することを覚えました。将来に向けての歩行訓練くらいのつもりでほうっておいたら、ある日廊下を猛然とダッシュしてそのまま玄関に突入、タタキに落ちて額を3針縫う大怪我。
つかまり立ちができるようになったころ、食卓のテーブルクロスを引っ張って肩に熱いコーヒーをかぶり大火傷。
2歳になってまもなくのころ、お姉ちゃんの真似をして押入れの上の段から飛び降りて骨折。
庭で遊ばせていたらいつの間にかいなくなって、必死に探したら裏の私鉄線の線路の中で石拾いをしていた、等々。―もしかしたらこの子、10歳までは生きられないかもしれないと本気で思ったのもそのころのことです。
女の子はそんなことはありませんでした。とても健康でけがもしないまま大きくなりました。ですから学校でも、女の子にはこんなふうに言ってあげるのです。
「君たちは女の子に生まれてきたというだけで親孝行の半分くらいは済ませている。だから少しくらい悪い子になってもいっこうにかまわないのだよ」
男の子にはこう言います。
「お前ら、これまでにもう十分、親不孝してきた。だからこれ以上、絶対に心配をかけるんじゃない!」
男の子、がんばろう。