「誰もがすべてを知っている」〜学校という組織

 昨日はご苦労様でした。本当に楽しいイベントができました。お客様たちも満足してお帰りになりました。

 私はいつも思うのですが、教員にこうしたことをやらせると実に卒なくうまく仕上げます。あっちもこっちも神経を高ぶらせキリキリと仕事をこなすといったふうではないので、傍から見ると何となく“これでうまくいくのか?”と不安になったりするかもしれませんがフタを開けるとたいていのことはうまく行っています。

 全体計画に従ってそれぞれがしっかりと責任を果たしているから、というのはひとつの答えですが、それは当たり前です。それだけでは単にパーツが仕上がったに過ぎません。そのパーツとパーツの合わせ目、いわば糊代の部分が幅広で、だからすべてがうまくかみ合わさるのです。お互いに責任の範囲を一枠越えて仕事をしようとするのです。

 なぜそうなるかというと、運動会やら文化祭やらで子どもを使ってさまざまな行事を企画し、配分し、達成し続けているという経験にもよります。常に頭の中に“児童生徒にはこういう仕事をやってほしい”というイメージがあるので、それを自分に適用できるのです。しかしそれと同時に、学校組織そのものが、この“一枠越えて仕事をする”ということを容易にしている面もあるのです。

 学校というところは実に会議の多いところです。年度末には必ずといっていいほど「会議が多すぎる」「子どもと触れ合う時間が少なすぎる」といった反省が出ますがそれで会議が少なくなった例はありません。実際に減らしても翌年すぐに復活してしまいます。なぜならそれだけの会議が必要だからです。

 教員は同時に一人でいくつもの仕事を兼任しているマルチ・タスク・プレーヤーです。学級担任・教科担任・生徒会顧問・部活顧問・PTA役員・各種行事担当・校内委員会担当・教科研究会・校外組織担当・その他もろもろ・・・。こうなるともう自分の責任の範囲を自覚して、その部分だけをしっかりやろうというわけには行かなくなります。常に全体像を把握し、その中での自分の位置を確認し、仕事に優先順位をつけ、先の見通しを描く、そうしたことをし続けないと仕事が回っていかないのです。

 ですからたとえば、職員会議には校内のすべての案件が持ち出されます(特定の学年の社会見学のように他学年には直接関係ないようなことも)。一部の職員が知っていればいいことだからと情報が共有されないことがないのです。

 ですから全職員がイベントの全体について多かれ少なかれ知識を持っています。その枠の中での自分の位置が分かっていますからどこに隙ができやすいかも理解しています。そこでその部分に一工夫加えることができるのです。

 こうした“一人で何重もの仕事を持って構成される組織”をマトリクス型組織といい、提案と指示を基本とするピラミッド型組織に対置します。マトリクス型は常に全員の共通理解を必要としますから、一面で効率の悪い組織ともいえます。時間もエネルギーも非常にかかります。しかしいったん共通理解ができると、あとの動きは非常に良くなる組織でもあります。

 学校のこうした現状を理解しない教育改革は必ず失敗します。たとえば学校にヒエラエルヒーを持ち込んでピラミッド型にしようという試みは、いつもうまくいきません。