カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「デイ・バイ・デイ(このブログ)のこと」①

(このあたりで一度、私のブログそのものについてお話しをしておきたいと思います)

 30歳で教員になり、最初に持ったクラスがとんでもなく荒れてしまいました。

 そうなると周囲からたくさんのアドバイスが寄せられるのですが、なにしろ教職員が58人もいる大校なので、その数も半端ではありません。その全部をやろうとするからさらに学級はさらに荒れていきます。どんな価値あることも、自分で続けられることしかやってはならないのです。素晴らしいと思っても、自分には向かないものもたくさんあります。

 逆に、誰にでもできるもの―つまり私にもできるものもいくつかありました。そのひとつが「朝の会でよい話をする」です。美術の先生から教わりました。
「Tさんはいいよ社会科の教師だから。社会科で担任を持っていれば道徳と合わせて週6時間(当時)も授業ができる。これだと毎日じっくり生徒の顔を見ることができる。だけどオレなんか週一回2時間だけだぜ、道徳と合わせても週二日、3時間だけだ。こんなので学級経営なんかできるか?」

「うっかりすると美術(の教師)なんて自分のクラスに、朝行って、昼飯食って、帰りの会で話をしてそれで終わりになってしまう。おまけに生徒は、昼は昼食に夢中、帰りは部活に行くことで頭がいっぱい、話なんか聞いていない。だから朝の会がすべてなんだ。朝の会で何を話すかが決定的なんだ」

 私はけっこう素直な性質だったので以後ずっと、20年間にわたって毎朝「いい話」をすることだけを考えて学校に向かいました。苦しい日もありましたが、基本的に毎日必ずやるようにしていました。

 しかしそうした習慣も、学級を離れるとともに失いました。私はただ黙々と働く教員になってしまったのです。
 その年の終わり、校長先生が私を呼んでこんな話をされました。
「先生の仕事には満足していますが、日報には不満があります」
*日報・・・職員への連絡用通信

 それによると日報というのは大切な職員指導の場であり、その中で教員としての思いを伝え、学校を動かしていくものなのだそうです。

 それまで私の日報は日程だけを書いた白紙を置き、そこへ先生方に手書きで書いてもらっていたのです。あとはそのまま印刷するだけです。
 つくるのが簡単な上、先生によっては簡単なイラストを入れたりして、それなりにユニークで風情のあるものでした。
 それを全面的にワープロで打ち込み直したうえに、自分の文も入れるわけですから負担は増えます。しかし悪くない提案でした。何しろ20年も続けてきた「毎朝話をする」ということを丸一年もできなかったのですから。
 それが始まりです。学校に行くのも楽しみになりました。

 しかし活動の場をくださった校長先生の感じ方は、少し違っていたようです。一年ほどたったある日、日報に話が及ぶと一言ポツリ、こんなふうに言うのです。
「T先生の日報――、あれはもう病気ですな」
 私は腹の中でクスクス笑っただけでした。

 誰にも、一度として読めと言ったことはありません。単なる私の趣味、こだわりですから「病気」で十分です。
(しかし何が何でも一日も欠かさずに書かなければならないと考えるのは、やはり本物の「病気」なのかもしれません)