「デイ・バイ・デイのこと」�@

 6月8日の書き込みにコメントをつけていただきました。そこに「3月に退職し、(それで)ブログも終わったと思っていた」という内容がありました。そこで説明しておきたいと思います。

 今から11年前、私は管理職の端くれとして田舎の小さな学校に赴任しました。それはけっこう大変なことでした。なにしろ教員というのは授業や行事の進め方、学級経営といったことには修練を積んできますが、学校運営や事務管理といったことにはさほど訓練を積まないまま突然、管理の世界に入ってしまうからです。一般の企業のように幾重もの階層があって徐々に権限と責任が増えていくというものではありません。そこでまず考えたのは、“どこで手を抜けるか”“熟練を後回しにできるのはどこか”ということです。これに関してはいくつかのアイデアがあって、その一つが教務日報(日報)です。

 どこの都府県でも同じだと思うのですが、私たちの県の学校にも教務日報というものがあります。これは毎日の日課や出張の予定、職員間の連絡を記して毎朝配布されるものです。その前半(日課や出張予定)は管理職が行えばいいのですが後半(職員間の連絡)の部分は一般職員がメモを渡し、それを管理職がワープロで打ち直すというやり方をしています。しかしこれは総量としては2倍のエネルギーです。一般職員の書いたものがそのままプリントされればそのぶん省エネということになります。

 そこで4月早々から私は、日課や出張予定を書いた台紙を用箋ばさみに挟んで机上に置き、そこに手書きで書いてもらうことにしたのです。これだったら翌朝、印刷・配布するだけですみます。

 またこれには副産物があって、特に重要な内容を書き込んだ先生がさまざまな工夫をして文章を際立たせようとしたり、手書きのイラストを入れたりとなかなか個性的で楽しい紙面が毎日のように続いたのです。

 さらに(これはよくあることですが)前夜おそくまで働いていた先生が急に連絡事項を思いついても、台紙はいつも目の前にありますからいつでも記入できます。帰宅したあと突然思い出したといったような場合でも、翌朝一足早く出勤して印刷前に書き込めば十分に間に合うのです。前夜までに完成している清書型だとこうはいきません。

 というわけで、私の手抜き教務日報は案外好評なまま、一年を過ごしたのです。ところがその年の年度末、私は校長先生に呼ばれて指導を受けることになります。

「この一年間の先生の仕事ぶりには満足しています。しかし教務日報には不満があります。

 あれは言ってみれば連絡帳でしかないでしょ。しかし教務日報というのはそうであってはいけないのです。それは職員指導の主戦場、先生が最も力を入れて活躍すべき場なのです。

 来年はそれを何とかしましょう」

 私にはかすかな戸惑いがありました。管理職なんて教育者の道を踏み外した者のすること――そういった思いがありましたから、職員指導などと言われても困るのです。しかし学校長の指導ですから従わないわけにはいきません。しかたなく、職員指導とは関係なく、とにかく書けることを書いていくしかないと思い定めて書き始めました。

 それがその後9年間、1900回余、400字詰め原稿用紙で8千枚にもなろうという「デイ・バイ・デイ」の始まりです。

 一年後、何かの折に教務日報が話題になった際、かの学校長はこんなふうにおっしゃいました。

「先生のアレは・・・ほとんど病気ですな」

 私は見られないようにしながら、ニンマリと微笑んだものです。

                                 (この稿、続く)