分かってもできない

 教育に関する大きな誤解の一つは、「人は分かればやる」というものです。

「人間、結局、懲りなきゃダメだ」とか「子どもは納得しなければ動かない」とかいったことも同じです。「人間は理解し得心すれば行動に移すことができる」ということをベースとする思考はすべて間違っています。

 人間は納得や理解だけでは動かないのです。

 この件に関して最も重要な示唆を与えてくれたのは植木等でした。もう半世紀近い昔のことですから知らない人も多いと思いますが、「スーダラ節」という歌で一世を風靡したコメディアンです。

チョイト一杯の つもりで飲んで いつの間にやら ハシゴ酒

気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝 これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ

分かっちゃいるけど やめられねえ ア ホレ 

スイスイ スーラララッタ スラスラ スイスイスイ(以下3回繰り返し)

 植木という人は“日本一の無責任男”のキャッチフレーズに名を上げましたが、実はとてもまじめな人でした。その性格と役柄の合わなさに苦しんだ植木は、実家に帰り父親に相談したことがあります。植木の実家は寺院です。

 話を聞いた父親が「ところでお前、どんな仕事をしてるのだ?」と訊くので、植木は青島幸男の作った「スーダラ節」の歌詞を見せます。それを見た父親は、

「もしかしたら青島という人は天才かもしれない、これは仏の道に通じることだ。ここに道があるかもしれない。いましばらくこの人について行きなさい」

 そう言ったのだそうです。

「分かっちゃいるけどやめられない(=理解したからってできるものではない)」

それは人間の原則です。したがって教育はまず分からせ、その上で「分かってもできない人間をできるようにする」こととなります。「分かること」と「できること」は別だと言ってもいいし、「分からせたあとですることが山ほどある」と言ってもいいです。しかしとにかく「分からせる」ことは道の半分にも満たないことだと思い定めておくことは重要です。

 そして「分かった上でできない子」をどう「できる」ようにするかが、プロとしての私たちの技なのです。