この齢になってもなお、
何のために生まれてきたのか分からない。
人生もあとわずかだというのに、
何をして生きるべきかも分からない。
――という話。
(写真:フォトAC)
【アンパンマンマーチの話】
最近はそうでもないと思いますが、ひところ小学生が40人いれば「ユウキ」と発音する名前の子(男女)や「アイ」という名前の女の子が必ず一人はいる、という時代がありました。そのころの私の話のツカミは、いつも同じでした。
「ああ、ユウキくんとアイさんね。私は二人に共通の友達を一人知っているよ」
すると子どもたちの頭の上に一斉に「?(はてなマーク)」が点灯します。そこで言います。
「アンパンマン」
すると「?(はてなマーク)」が2倍ほどに膨らみます。そこで歌います。
「♪アイと、ユウキだけが、と~もだちさァ」(『アンパンマンマーチ』)
たいていは大うけです。そこで重ねて、
「アンパンマンには二人しかお友だちがいないようですから、ユウキくん、アイさん、大事にしてあげてくださいね」
そして本題に入ります。
ちなみに二度と使えないネタですので、次の時は鈴の束を持って行ってユウキ君に持たせ、強く振らせます。子どもですから訳が分からなくてもやってくれます。そこで歌います。
「ユウキの鈴がリンリンリン~」(『勇気リンリン』)
ところで先ほど紹介したアンパンマンマーチの中に出てくる次の歌詞、NHK朝ドラ「あんぱん」でも大切なキーワードとして扱われたものですが、これについて思うところがあります。
「♪何のために生まれて、何をして生きるのか、分からないまま終わる、そんなのは嫌だ」
齢(よわい)七十余年、これだけ生きてきて、私はいまだに何のために生まれてきたのか、何をして生きるのべきなのか分からず、分からないまま終わりそうなのです。
【何のために生まれてきたのか】
この「何のために生まれてきたのか」という問い、理屈っぽいことを言えば、「自分は何らかの使命(低く見積もっても何らかの用途)があって生まれてきたのだ」という前提があって初めて成り立つものです。
自分は医者となって人々を助けるために生まれてきた、自分はミュージシャンになって人々を喜ばせるために生まれてきた、建築士となって住み心地の良い家を造るために生まれてきた、といったところでしょうか?
神様は何かの意図があって私を造った、神様の頭には何らかのイメージがあってそれを実現するために私は生まれてきた、けれどその意図やイメージは隠されていて私にはわからない、そんな場合にのみ、「何のために生まれてきたのか」という問いは成立すると思うのです。
しかし現代人である私たちは、いつからそんなふうに信心深くなっていたのでしょうか?
【ジャン=ポール・サルトル】
世の中のすべてのものは二つに分けることができる、目的があって生まれてきたものと、無目的なまま生まれてきたも――そう言ったのは20世紀を代表する哲学者のジャン=ポール・サルトルでした。
前者、“目的があって生まれてきたもの”について言えば、例えば鉛筆は「簡便に手にして、文字や絵を描くことの道具」ということで鉛筆自体が生まれる前に人間の頭の中にあり、やがて「黒鉛を粘土で固めた芯を、木製の軸に挟んだ棒状の筆記用具」という形で生まれてきます。あるいは「橋」は、「川や池を跨いで、人が濡れずに向こう岸に渡るための構造物」ということで、具体的な「橋」が生まれる前から人間の頭の中にあったものです。もちろん暴風で木が倒れ、それが偶然にも「橋」となって人間の役に立つということもありますが、その橋は決して「人を渡らせるために倒れた」、つまり「橋として生まれた」わけではありません。あくまで偶然の産物です。
一方、何の目的もなく生まれてきたものもたくさんあります。山や海や川は何らかの目的があって生まれてきたわけではありません。木や草や獣や小動物も、たとえそれが人間の道具になったり食べ物なったりして役立ったとしても、そのために生まれてきたわけではありません。人間が断りもなく利用しただけです。
さらにまた、木も草も獣も小動物も、自分が「何のために生まれてきたのか」などと問いかけたりしません。黙ってそこに存在します。そんな中にあって、生まれてきた理由を問わずにはいられないのは人間だけです。人間だけが自らの存在理由を知ろうとして、激しく苦悩するのだ――と、それがサルトル哲学のスタートでした。
【サルトル忘却、それでも大切なこと】
私が学生だった半世紀ほど前、サルトルやボーボワールをかじるのは学生の務めでした。分かっても分からなくてもいいのです。“哲学”ですからやはり難しく、理解しろと言われても普通の学生の手に届く代物ではありません。しかし「分かったふり」くらいはできないと、話の中でいきなり突き付けられて恥ずかしい思いをしたりすることになります。サルトルと聞いて“お猿”が頭に浮かんでいるようでは話になりません。
そこで私も頑張ったのですが、「分かったふり」がようやくできるようになったころには、だれもサルトルの話などしなくなってしまいました。
サルトル自身が晩年、
「私の哲学は社会主義哲学の下位に属するものであり、社会主義を補完するものである」
などと言って亡くなったため、肝心の社会主義が1989年前後の東欧革命とソ連崩壊で失敗の烙印を押されると、一緒に滅んでしまったのです。これを“サルトル忘却”といいます。
私の努力も無駄になったようなものです。ただし、
「人間はそれぞれ何らか目的や使命をもって生まれてくるものではない」
というサルトル哲学の前提は今も有効で、かつ頭の隅に置いておくべきことだと思うのです。特に若者と話すときには、いつでも思い出せるようにしておく必要があります。
(この項、続く)