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「教師は修士でなくてはならないが、そもそも学士で卒業できず、全員が修士で卒業する国」~フィンランドの教育②

フィンランドの教育について、続けてまとめておきます)

 PISAで学力世界一の太鼓判を押されたフィンランドの教育について、繰り返し言われるのは、 「フィンランドは1978年の教育改革によって教員資格取得に修士号の取得が義務付けられ、そのため非常に優秀な教員が養成されるようになった」という話です。そこで日本でも民主党が教員養成課程を6年に延長しようと言ったりしていました(ただし教員養成を6年にしたら教員のなり手がいなくなるだろう、教職は医者と違ってそこまで魅力的な仕事ではない、という話が持ち上がってこの計画は頓挫しています)。

 この「教員はすべて修士」について「受けてみたフィンランドの教育」にはこういう一文があります。
 フィンランドでは教員の資格は大学で教員養成課程を修了していることが義務付けられている。(中略)そしてこの課程の修了者には修士号が与えられるので、教師は全員修士号をもっていることになる。ただし、フィンランドの大学は基本の学位が修士号なので、日本でいう大学院の修士課程修了者にはあたらない。  
 私は最初この文の意味が理解できませんでした。そこで調べて見ると次のようなことが分かったのです。

 フィンランドの大学制度が日本と大幅に違うのは,「修業年限が決まっていない」ということ。もともと高校も単位制で登校時間もまちまち、一緒に授業を受ける学年の子もまちまち、落第も頻繁、さらに学校教育はすべて無料という国なので修業年限という考え方自体が馴染みません。高校卒業と同時に大学へ進む者も稀で、大学卒業も10年計画といった人さえいます。

 ただしもちろん最低の年月で卒業する人もいて、その場合の年限は学士3年、修士2年、博士3年以上ということになっています。さて、そしてここが問題なのですが、フィンランドの大学では3年での卒業は認められず最低5年在籍しないと卒業できないのです。つまり大学を卒業することと修士号を獲得することは同じになるのです。ちょうど私たちが大学を卒業すると学士となるのと同じです。

 だったらそもそも「フィンランドは1978年の教育改革によって教員資格取得に修士号の取得が義務付けられ」というのは何なのだろうというのが次の疑問になりますが、その答えは次のようなものです。
フィンランドでは1978年までは、高卒でも教師になれた」

 教育改革で修士が義務付けられたのは正規雇用の場合だけですので、現在も講師やアシスタントには高卒資格だけの人や現役の大学生がたくさんいます。学研新書に「フィンランドの教育力―なぜPISAで学力世界一になったのか」というものがありますが、著者リッカ・パラッカという女性教師は、大学受験に失敗したあと特別支援学校のアシスタント講師として働き、そこから一念発起して教育学部に入学します。1989年のことです。

フィンランドの教員は全て修士であることが義務付けられている、だから優秀なのだ」ということの、実際の意味はこういうことです。しかしだからといって「噂されるほど優秀ではない」ということにはなりません。そこがこの話のミソで、教員養成制度はさほど変わらないのに、フィンランドの教師はものすごく優秀なのです。

 原因のひとつは伝統的なものです。フィンランドでは教師のステータスが非常に高く、国民から尊敬されているとともに、「学校の勉強ができる子は教員になればいい」という一種の思い込みがあるようなのです。ちょうど日本で飛び抜けて学校の成績のよい子は、とりあえず「医学部に」といった話になるのと同じです。

 もちろんフィンランドでも、教師は日本と同じく高収入の見込めない職業ですが、潤沢な休日という高収入に代わる魅力があり、それが二つ目の理由となっています。
 フィンランドの教師は夏休み中の生徒に一切関わりません。6月から8月中旬まであるという夏季休業中、多くが国外へ旅行し、セミナーに参加したり、家や部屋を借りて外国暮らしを体験したりします。中には、アルバイトをする教師もいます。知的好奇心の強い教員にとって、保障された2ヵ月半の休暇は、医者の高収入にも勝るとも劣らない魅了でしょう。そもそも普段だって、午後4時には家に帰ってしまいます。

 かくしてフィンランドでは教職の人気が高く、トップエリートが就くべき仕事となっています。日本とは比べるべくもありません。

 日本の教師は低い収入と低いステータスと少ない休みの中で、ほんとうによく頑張っているということです。