「スタンド・バイ・ミー、ライ麦畑でつかまえて」

 応援練習が始まりました。あれぽっちの人数で、咳き込むほどにがんばって大声を出している姿にほとほと感心し、誉めに行こうとした矢先、立石先生が先に現場へ行って・・・怒っていました。

「声が出てネーダロ!」

 担任とは欲深なものです。これだけできるならまだできるだろうと、次々とハードルを上げてしまいます。しかしそんな人がそばにいてくれて初めて、子どもたちは自分の殻を破り、1ステージ高いところで勝負できるのです。

 さて、教師になってから私がずうっと大事にし、心に浮かべている映画の1シーンがあります。それはスティーブン・キング原作の『スタンド・バイ・ミー』の一場面です。

 隠された死体を捜しにいくという子どもたちの冒険行の途中で、主人公の少年がもう一人(スティーブン・キングがモデルと思われるひ弱な少年)に語りかけます。

「ほんと、おれがおまえのおやじならよかったのにな!」
とクリスは腹立たしげに言った。
「もしおれがおまえのおやじだったら、あんな作品をいっぱい作れるなにかを与えてくれた神さまみたいに、こう言ってやるんだ。
”これこそ、わたしたちがおまえに望むことだよ、息子や。その才能を失わないようにしなさい”ってね。
 だけど子どもってのは、誰かが見守っててやらないと、なんでも失ってしまうもんだし、 おまえの両親が無関心過ぎて見守っててやれないってのなら、たぶんおれがそうすべきなんだろうな」 

 私は「子どもってのは、誰かが見守っててやらないと、なんでも失ってしまうもんだし、」というところが好きです。子どもはほんとうに大切なものをいとも簡単に捨ててしまいます(だから子どもなのですが)。ですから誰かが見守っていなくてはなりません。

スタンド・バイ・ミー」は「ボクのそばについていて(見守っていて)」とでも訳すのでしょうか。私はそう言われて子どもたちの傍らに立つような、そんな人間になりたいと思いました。

(ついでですがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の最後の場面、主人公が妹に問い詰められて初めて語る彼の夢、
「自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい」
も、心動かされた台詞です。子どもが子どもでなくなる日まで、そんなふうにしていたいですね)