カイト・カフェ

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「ライ麦畑でつかまえて」~私が成し遂げたかったこと

 難しいことばかり立て続けに書いてきて自分自身が滅入っています。そこで今日は軽いお話をしたいと思います。

 サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」を私は21歳の時に読みました。けっこう長い本ですが、今調べるとたった一日で読んでいますからきっと夢中になって読んだのでしょう。

ライ麦畑でつかまえて」というのは名誤訳で、原題は「The Catcher in the Rye」。直訳すると「ライ麦畑のつかまえ人」といった感じになります。これは主人公のホールデンが、日本では「ドリフの麦畑」で有名な「Comin Thro' The Rye(ライ麦畑で出逢ったら)」の最初の部分"If a body meet a body Comin' through the rye"を"If a body catch a body comin' through the rye"と聞き間違えていた、というところからきています。

 物語の最後の方で、チャランポランとしか思えない主人公の生き方に対し、妹が「いったいあなたは何をしたいわけ?」と聞くと、主人公はこう答えます。

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるところが目に見えてくるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない―誰もって大人はだよ―僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ―つまり子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう、そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、僕がほんとになりたいものといったら、それしかないね。バカげてることは知ってるけどさ」

 あるいは私は、この部分を読んだ時の感覚を、ずっと今日まで抱え続けてきたのかもしれません。
 教師としてそんなに優秀な仕事をしてきたわけではありません。特に、才能のある子を伸ばしたり、全体の学力を底上げするといったことはうまくいきませんでした。話し合いのさせ方は本当に下手です。部活や生徒会の指導も中途半端でした。
 ではいったい何に気を付けていたかといえば、それは「誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえること」だったような気がするのです。本当に困っている子、子どもについてまったく打つ手に窮してしまった家族のために、自分が最後の砦になってやりたい―。
 非行とか不登校とか「いじめ」とか、摂食障害をはじめとするさまざまな心の問題とか、最近では発達障害だとか、そういうことが私の中心的テーマでした。それもこれもみな「崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえる」ための知識が必要だったからです。

 さて、私はもう年ですからホールデンのように未来を語ることはありません。
 語るとしたら“来世”です
 フィービー(ホールデンの妹)のようなかわいい孫がいて「いったいあなたは何に生まれ変わりたいわけ?」と聞かれたら、私はこう答えるのです。

「とにかく私はね、ゴリラに生まれ変わりたいんだ。アフリカのジャングルの中で背中を銀色に光らせるシルバーバックさ。そして周りには数匹の子ゴリラが一日中遊んでいるんだ。私の背中を滑り台にしたり、時々キックしたり叩いたりしてさ―そんなことをして私の気を引き、遊んでもらおうとするんだ。そんなふうにしてひなが一日を送っていく。私が生まれ変わりたいのはそれしかない。バカげていることは知っているけどさ」

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