「映画の題名に関するちょとしたウンチク」

 先週話題にした10月7日のNHK「歴史ヒストリア(「"日本語"を切り開いた"マンネン"な人びと」)」は今年89歳になった私の母も見ていて、

「日本語を創った人たちがいたのには驚いた」

というような話になりました。

 そこで元社会科教師、ウンチクタレの私としては一通りの日本語統一に関する蘊蓄話をし、昔の日本人は安易に外国語を使わず日本語に変換するよう努力したものだ、といったことを偉そうに話して聞かせました。

 ゲーテ曰く「男が教え、女が学ぶとき、勉強ほど楽しいものはない」

 その関係は、卒寿の母と還暦を過ぎた息子との間でも変わりません。

 その話の最後に、母がこんなことを言い出しました。

「そういえば昔の映画には素晴らしい題名のものがいくつもあったけど、最近はとんとそういうものは聞かないねえ」

 そして二人で「望郷」「慕情」「カサブランカ」「アラビアのロレンス」「天井桟敷の人々」と、思いつく限り古い映画の題名を挙げたのですが、ハテ? その中で原題とかけ離れた名訳といっていい邦題はいくつあるのか――本当のところは詳しく知らないのです。

 そもそもが老々介護みたいな二人ヨタ話ですし、そのまま済ませてもよいことかもしれませんが、いい機会です、いずれ別のところで話題にすることもあるかもしれないということで少し調べてみることにしました。

 そのうえで分かったことは、昔の方が素晴らしかったというのは間違いで、必ずしもそうは言えないということです。

 原題がいいので邦題も素晴らしいといった例も少なくありません。「カサブランカ」は“Casablanca”、「アラビアのロレンス」も“Lawrence of Arabia”とそのままです。そのままでいい。

 「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」「ウエスト・サイド物語West Side Story)」も同様です。

 しかし同じ直訳でも「第三の男」と“The Third Man”は同じニュアンスなのか、「裏窓」と“Rear Window”は同じなのかとなると少し微妙です。

両方ともかなりミステリアスな雰囲気のする日本語ですが、それもタマゴとニワトリで、「第三の男」や「裏窓」といった日本語にもともとミステリアスな雰囲気があったのか、、映画で使われたからそうなったのかはわからないところです。

 「天井桟敷の人々」はフランス語の原題で“Les enfants du Paradis(「天国の子供たち」)”。おそらくここで言う「天国」と「天井桟敷」は同じもので「子供たち」は「やんちゃな連中」といった意味なのでしょう。ただし題名としては「天井桟敷の人々」の方が圧倒的に良く、「天国の子供たち」では幼くしてなくした子どもたちへの追憶映画みたいなものしか想像できません。

 また「大人はわかってくれない」の原題は“Les Quatre Cents Coups”、意味は「400発の打撃」。これでは大人ばかりでなく子どももわかってくれません。もとはフランス語の慣用句に由来し「無分別、放埓な生活をおくる」といった意味のようです。

 母との話に出てきた「望郷」の原題は主人公の名前をそのまま記した“Pépé le Moko”。現代だったら「ペペ・ル・モコ」そのままで上映されたのかもしれません。

 「慕情」は主題歌が有名で原題と同じ“Love Is a Many Spendored Thing”。やはり直訳「愛は輝きに満ちたもの」では話になりません。

 よく似た「旅情」は“Summertime(サマータイム)”。だから何なん? といった話です。

 原題の方がはるかにつまらないと言えば「アパートの鍵貸します」の“The Apartment(アパートメント)”、あるいは「大いなる西部」の“The Big Country(大きな国)”――やはり昔の日本人は偉かったという気にもなってきます。

 比較的近いところでは「スタンド・バイ・ミー」。

 原題は“The Body(死体)”で、このまま邦題にしたら観客は来なかったでしょう。主題曲に使われたベン・E・キングのヒット曲は映画より四半世紀も前の曲ですが、映画の雰囲気にも趣旨にもピッタリで私は大好きです。

 「思い出の夏」は“The Summer of '42”。――ハァ、と力が抜けます

 名画「天使にラブソング」は“SISTER ACT(僧の出し物)”――アホでしょう?

 分かりやすいが映画の題名としていかがかと思うのは、

 「俺たちに明日はない」→“BONNE AND CLYDE(ボニーとグライド)”。

 「明日に向かって撃て!」→“Butch Cassidy and the Sundance Kid(ブッチ・キャシディーとサンダンス・キッド)”。

ともにアメリカでは有名人なのでしょうが、日本人には何のことかわかりません。

 「ランボー」の原題は“FIRST BLOOD(最初の血)”で、「どっちが先に手を出した?」みたいな意味らしいのですが、邦題に「ランボー」を持ってきたら本家のアメリカでも評判で、シリーズ化されてからは「ランボー」が共通して使われるようになりました。もっとも日本でヒットしたのには詩人のランボーがわが国で人気があったこととも関係しているようです。

 そのほか邦題の方が優れているものとして、

 「夜の大捜査線」→“In the Heat of the Night(夜の熱の中で)”

 「おしゃれ泥棒」→“How to Steal a Million(百万ドルの盗み方)”

 「愛と青春の旅だち」→“An Officer and A Gentleman(士官と紳士)”

 「華麗なる賭け」→“The Thomas Crown Affair(トーマス・クラウン事件)”

など、いくらでも見つかります。

 初めの方で「そこで分かったことは、昔の方が素晴らしかったというのは間違いで」と書きましたが、本当にそれを思い知らされたのは最近の二つのアニメーション映画のおかげです。

 「カールじいさんの空飛ぶ家」→“UP(上へ)”

 「アナと雪の女王」→“FROZEN(凍結)”

 ここまでくると「おい、アメリカ、しっかりしろ」と言いたくなる感じです。