中学校から小学校の教員へと移動した際に、驚いたことはたくさんあるのですが、そのうちひとつは保護者たちのもつ「ある種の不安のなさ」です。
私たち教員はたくさんの子どもたちを見てきていますから、この子がこのまま育つとこういう方向に行く、ということがある程度の幅をもって見られます。幅というのは最善の場合と最悪の場合の間に横たわる広がりです。
もちろん最善の場合について思案する必要はありませんから、最悪の場合を想定して、そこからどれくらい遠ざけることができるかを考えるわけです。
最悪の場合この子は殺人者になる、
最悪の場合この子は生涯自分の家から出てこない、
そんな子がいると、私たちは震えて必死の対応をすることになります。ところがそんな子の保護者の中に、何とも安閑として危機感のまったくない人たちがいたりするのです。
「お兄ちゃんでもとっても苦労しましたから、この子もしかたないと思っています」
(オイ、オイ、お兄ちゃんと同じ程度で済むという保証がどこにあるんだ?)
「この子が自分で決めたことですから、最大限、尊重してあげたいんです」
(オイ! 小学生が自分の一生を決めてしまうのを、平気で見ているのか?)
「今からそんなに『いい子』で過ごしてどうするんですか?」
(今からこんなに悪い子で恐ろしくないのか?)
そんな保護者には、きちんとしたメッセージと明確なイメージを与えなくてはなりません。
今のこの子は可愛い(それは私も同じだ)。
しかし10年後、20年後のその子だって可愛いはずだ。
その時(20歳の時、30歳の時)、この子が不遇で何の楽しみも喜びもない人生を送っているとしたら、その時あなたは切なくないのか、と。
今やるべきことは、たくさんある、と。