「教師はどんなときも、子どもに寄り添い続ける」~学校を災害が襲うとき③

 子どもの躾けやマナーが問題になるとき、あるいは万引きをした生徒を学校が引き取りに行ったというような話が出たとき、しばしば「それは家庭の問題だろう」とか「学校がやることではない」といった議論が起こります。「学校は勉強を教えるところであって、育児の場ではない」といった言い方もあります。いちいち御もっともであって、筋論としてはその通りです。しかしその論にしたがって学校が躾けやマナー、非行問題や不登校の問題を手放したら、家庭は丸ごとそれを引き取ってくれるでしょうか。

 おそらく多くの家庭はそれを引き取ってくれます。
「学校は勉強をきちんと教えてくれればいい、他のことは私どもの責任です」
 そう言って実際に対応してくれる家庭は少なくありません。しかしそれをやらない家庭、できない家庭もあります。そして“できない家庭”は徹底的にできないのです。
 そうである以上、子どもに関するすべての事柄について、(本当は家庭のやるべきことだと思っていても)、私たちは何らかの形で関わって行かねばなりません。

「学校を災害が襲うとき―教師たちの3・11」の中にも、教師たちが親代わりに働く場面が何回も出てきます。

 3月11日の夜をひとつの毛布に包まって、教師の膝の上で夜を明かした子がいます。翌朝、一人ひとりの子を保護者に引き取ってもらったあと、それでも残った子はいつまでも教師のもとにいました。
 確認する人がいないので、教員が乞われて子どもの遺体確認をした話も出てきます。幼い姉妹に付き添って、保護者の遺体確認にいった教師もいます。

 高校では進路の問題がいきなり目の前に突き出されます。一切合財を失った家庭のために、奨学金を探して走り回る教師がいます。進学を断念させようとする保護者をかき口説く教師もいます。いずれの場合も教師が親の一部分となって、子どもを支えようとしているのです。

 学校が再開されるまでの間、子どもの一人ひとりを訪ねて、教師が被災地を回ります。ところが一部の子どもは親とともに転々と居場所を移すので、その足跡を教師がまた訪ね歩きます。そんなことが毎日続くのです。
 そうしたエネルギーはどこから生まれるのか。

 ここまでやってこれたなって思うのは、やはり生徒がいたから、頑張ってこれたと思います。子どもたちが元気になれば、なんか、この子たちが希望だなって。家族にとっても、この子たちの進路を明らかにしてあげるってことは、やっぱり私ができる、家族に元気をあげることだし、地域にも、なんか、希望になる。子どもたちが。その1点でなんか頑張れるって‥‥‥。
(「学校を災害が襲うとき―教師たちの3・11」に出てくる高校の先生の話)

 教員はどこまで行っても教員だし、どこにいても教員なのだとつくづく考えさせられる話です。宮城にはこんなに素敵な教員が山ほどいます。しかし日本中、どこに行ったって教員は皆同じです。同じように子どもを頼りに、いくらでもがんばれる人たちばかりなのです。