「ハズレた場合」

 私は顔がそうとうに怖いらしい、というかものすごく神経質に見えるらしく、しばしば人を恐れさせたり怯えさせたりします。

 異動で新しい学校に移り、新任職員紹介でステージに立ったとき、下のフロアーの子どもたちが「(新しい担任は)アレ以外だったら誰でもいい」と思う“アレ”がたいていの場合、私でした。

 担任発表で校長から名前を呼ばれ「ハイ!」と答えて元気よくクラスの前に立ったら、「ハァ〜〜」ととんでもなく大きなため息が聞こえたことがあります。列の後ろから4番目の女の子でした。新しいクラスの始まりとしては最低ですが一番前のH君がキラキラと輝く目で私を見上げてくれていたので、気を取り直して何とかこのクラスでがんばって行こうと思ったのですが、そのあと職員室に戻って3月までの担任にその話をすると、あっけらかんとした口調で「あ、H君ね、あの子、いつもニコニコしてるよ」、だそうでした。

 一度だけ小学校1年生の担任をしたことがあるのですが、入学式の担任発表では体育館の後ろの保護席から一斉に「エーッ」という声が上がり、続いてクスクスと忍び笑いが聞こえてきました。3年目の学校で、声を上げたのは私をよく知る保護者たちですがほんとうに失礼なことです。あとで聞くと「だってT先生が1年生の担任だなんて、おかしくって・・・」だそうです。顔を見れば似合わないことこの上ないのは確かですが――。

 4月の担任発表は悲喜こもごもです。保護者は教員の評価をよく知っていますのですぐに当たったハズレたといった話になり、一部は私の耳にも入ったりしました。直接、勤務校の教員について相談されたことはありませんが、私が教員と知ると「どうしたらいいのでしょう」といった話になるのです。そんなときはこんなふうに話します。

「教職というのは職人芸ですから(いつもの言い方です)時間が経てば誰でも一応の教師に育ちます。しかしそこまで行くのが早い人もいれば時間のかかる人もいます。それも他の職人と同じです。ですから長い目で見てくださいと言うのが本筋ですが、子どもを預けている身ではそうは言っていられませんよね、何しろお子さんにとってこの1年〜2年が大切なのであって“何年も先になって立派に成長したボクたちの先生”なんて関係ないのですから。

 しかしそうした未熟な担任の出会うリスクはすべての子どもに平等なのです。義務教育の9年間だけをとっても、良い先生出会う時期もあればうまく合わない先生と過ごさなければならない時期もあります。9年間、同じように“いい先生”だけに教えてもらうというわけにはいきません。長い人生、常に良い上司や仲間と会い続けることがないのと同じです。そう思って受け入れましょう。

 もうひとつ、

しかし本質的な話をすると、“そもそも担任なんか誰でもいい”、そんな子を育てておくのが一番いいのです。クラスにはそういう子が必ず何人かいます。私が担任であってよかった子、私以外の方がよかった子、そして私であろうと誰であろうと無関係に育っていくだろうと思われる子、その最後の子たちです。

 え?“ウチの子は、とてもそんな子ではない”のですか? 困りましたね。だったらこんなふうに考えましょう。

 これは神様がくださった試練でありチャンスなのです。子どもの養育・教育はその子と一緒にいる間ずっと同じようにベターッとやるものではありませんし、できるものでもありません。ですから今、その“ハズレ”の先生と一緒にいる間だけでも、精一杯家庭で支えてあげるのです。勉強をさせるとか経験を積ませるとか、その先生では不安な部分を家庭が肩代わりするのです。自分でやれば安心でしょ? それに、子どもと過ごすほんとうに短い年月で、1年〜2年をその子のためにだけに捧げるって、すてきなことじゃないですか。そう思いません?」