「子どもはなぜ席について授業を受けているのだろう?」

 昔の子どもは先生の言うことをよく聞ききちんと勉強していた、というのはウソです。校長先生がいつぞやの職員会で示して下さった江戸時代の資料にもありましたし、荒れた寺子屋の様相は渡邊崋山の『一掃百態』という版画でも有名です。明治時代の旧制高校の荒れ具合は夏目漱石の「坊ちゃん」や「我輩は猫である」を読めばすぐに分かるでしょう。いつの時代も子どもは簡単に教師の言うことを聞いてくれなかったのです。

 しかしそれにも関わらず、多くの場合子どもが教師の言うことを聞き、きちんと席についているのはなぜでしょう?

�@授業が面白くためになるから。…………もちろんそういうことがあります。

�A先生が怖いから………それもあります。

�B先生が好きだから………意外にも、これもありえます。

 しかし現実には、対して面白い授業をするわけでもなく、怖いわけでもなく、子どもに対して好かれていない教師でも、そこそこ授業を続けている例もあります。したがって、

�Cなんとなくそういうものだと思っているから。ということもつけ加えておかなければなりません。

 小学校ではたいていそれで済みます。しかし中学校の場合、それらのすべてが打破されてしまうのです。

 例えば、�@どんなに優秀であっても、掛け算九九も忘れてしまった生徒も楽しめる授業を毎日提供できる数学教師はいません。�A先生はもはや怖くありません。小学校1年生にとって担任の先生に対面するというのは、私が小川直也に立ち向かうようなものです。相手が大きいというだけで言うことを聞きたくなります。しかし中学生の場合、立場は逆転しています。おまけに世間の大人と異なり、教員は絶対暴力は振るわないと保障のついた人々です。�B稀に生徒に好かれている先生がいますが、言うことを聞くかどうかは別問題になります。そして�C。中学校の場合、これだけが頼りです。

 まず学校全体に「静かにきちんと学習する」という気風があり、それぞれの先生がどんなほころびも許さない、という態度でがんばっていればなんとかなります。しかし荒れた学校を普通の学校にするのは、外の人間が考えるほど容易ではありません。生徒指導は常に同時多発テロですから、事故処理だけで教師は疲弊しています。

 授業中の私語につても同時多発テロ的です。喋っている一組を注意している間に別の組のおしゃべりが大きくなり、そちらに向かえば別のところが喋り始める。結局注意し始めたら1時間中やっていなければならなくなりますから、授業が進められる間はあまり注意もしないのです。せめて新入生だけでもそうした雰囲気から守りたいのですが、廊下を上級生が走り回っている中で「ナンデ俺たちだけが真面目にやらにゃならんの?」と、妙な不公平感が1年生を包んだりします。

 さて、中学校に送り出す側である私たちにできることは何

でしょう? それについては、来週考えたいと思います。