カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「原風景」~勇気をもって、ひとに親切にしようと思った日

 老人の記憶の特徴のひとつは、近くのことから忘れるということです。昨日のことどころか1時間前のことも忘れてしまうのに、50年前の記憶についてはやけに鮮明です。私もそろそろそういう時期に入ってきています。

 それは私が小学校3年生の秋の夕暮れ、M市の薄暗いバスターミナルの一角でのできごとです。
 当時のMバスのターミナルは木造の傾げた建物、駐車場も未舗装で轍が深くえぐられているような裏寂しい感じのする場所でした。奥の待合室には裸電球がいくつか吊るされ、その下の木のベンチでは人々が押し黙って座っているだけです。ただし待合室の一角には妙に華やいだ売店があり、その隣りにはM市で一番最初に設置されたジュースの自動販売機がありました。
 私以上の年齢の人なら誰でも覚えていると思うのですが、真っ白な直方体の販売機の上に、巨大なそろばんの珠のような形をしたプラスチックのボウルが乗せられていて、その中でオレンジジュースが噴水になっているのです。何しろ初めての自動販売機ですから、何の機械なのかを示す必要があったのでしょう。

 その販売機の前で、小学校5~6年生くらいの男の子が顔をビショビショにしながら泣いています。見ると手に持った財布から一円玉を果てしなく販売機に注ぎ込んでいるのです。ジュースの値段は20円でした。しかも10円玉しか受け付けてくれず、他の硬貨はみな吸い込まれていく仕組みになっていたのです。
 私はその少年に「1円玉はいくら入れてもダメなんだよ」と教えてあげたかったのです。けれど相手はあきらかに年上で、低学年の私が教えてあげるのは何とも出過ぎた真似だと感じていました。でも「キミの大切な1円玉、それ以上入れちゃあダメなんだよ」と言いたくて、私は一心にその子を見つめていました。

 で、一心に見つめていたはずなのに、その後どうなったかは一切記憶がありません。いい加減なのものですね。また、大人になってからは「あの子もある程度のところで1円玉がダメだってことは分かったはずだ。でも人間にはとことん破滅しないと我慢できないこともあるんだよ」とそんなふうに考えるようにもなりました。ですからやはりあの時は声をかけなくてよかったのです。

 ただし、私はそのことをいつまでも忘れませんでした。そしていつか、人が困っていたら真っ先に声をかけてやるんだと決心し、けれどそういうチャンスが訪れてもいつも勇気がなくて声を掛けそびれ、少し自己嫌悪を感じてからまた決心しなおしました。結局、だいたい思った通りに声をかけられるようになったのは、大人になってもずいぶん最近のことです。けれど今でも、あの時の薄暗い待合室の風景は、繰り返し私の頭に訪れれてくるのです。
 (今日は、書くことを思いつかなかったので昔話を書きました)