カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「何が悪かったのか」2〜マイ・レジューム

 初めて中学校の教員となり、いきなり担任を持って何もわからないまま様々なことを決めていく、様々なことが決まっていく。その間の私は分からないことだらけでした。
 分からないのであれば他の先生に聞けばいいのに、しかし私はそれを聞かない。自尊心の問題もありましたが、むしろほかの先生方があまりに忙しそうで遠慮があったのと、実を言えば何を聞いたらいいのかそれすらわからないことが多かったからです。聞き始めれば一から十まで全部教えてもらわなくてはならなくなる、それはあまりにも迷惑だとも思ったのです。
 この点に関しては、今思い出しても当時の自分に多少同情してもいいような気がしています。私がもっと若く素直に聞いて回ることのできる年頃だったとしても、果たしていきなりの担任をうまくやり過ごせたかどうかは疑問だからです。

 私はまた、都会の学校の荒れた様子に慣れすぎていました。マスコミも連日、荒んだ学校の様子を知らせています。ですから自分のクラスが少しぐらい崩れて来ていてもほとんど気にならなかったのです。今から考えれば警告とSOSは山ほど発信されていたのに、「現代の中学校はそういうものだ」と嵩をくくっていたのです。

 しかし田舎ではそうではありません。特に私の初任校は超が付くほどの大規模校で、それだけに非常に堅牢な仕組みをつくって学校をまとめていたのです。崩れていたのはほんのわずかのクラス、しかも1年生の1学期早々に崩れ始めるようなのは私のところくらいなものでした。それにも気づかない――。

 教室掃除のやり直しは私自身がしなければならないようになりました。学級通信は毎日出すようにしました。授業では私語がやまず、常に最高の授業をしなければ聞いてくれないので指導案は毎日書くようにしました。朝の会での話には特に心を砕きました。
 名札がついていない、靴のかかとを踏みつけている、壁に悪戯書きがされている――学年会や職員会に出される多くの生徒指導的事案が、ことごとく私のクラスに当てはまっていました。それへの対応にいちいち手間取りました。
 やらなければならないことが等比級数的に増えていき、寝不足が続くと判断を誤ってまたすべきことが多くなる――最初の1年間はそうした泥沼にひたすら足を取られた年月でした。

 この時期の経験から学んだことに一つは、こういうことです。
 指示は必ず通さなければならない。担任が指示して達成されない経験をたくさん積むと、生徒は「教師が行ってもきかなくていい」ということを学んでしまうからです。家庭で親の言うことを聞かない子が生まれるのもまったく同じ経験からです。
 そうしたことにならないために、指示はまず数を減らさなくてはなりません。何十項目という指示を全部覚えていられる生徒はいません。何十項目という指示をきちんと覚えている教師も多くはありませんから、それが達成されているかの確認もいい加減になります。すると、漏れが出て来る。

 指示は内容的にも精査されえなければなりません。生徒の常識的なの努力によって達成可能なものでなくてはならないのです。まじめに取り組んでも、努力しても達成できないとなると、やはり生徒は「先生に言われてもしなくてもいい」ことを学んでしまいます。頑張ってもできないのですから最初からやらない方がマシなのです。
 適切な量と内容の指示が行われ、生徒が達成できたらひたすら誉める。「ここまで教えて支援したのだからバカでもできるだろう」と思われるようなことでも誉める。なぜなら「馬鹿でもできそうなこと」でもできたら偉いのですから。
 しかしそうした一切は、のちになって学んだことです。

 初任の学校で私はむしろ「してはいけないこと」のすべてを持続的に続け、クラスは荒れ放題に荒れ、そしてついには深刻ないじめ問題を引き起こしてしまうのです。

(この稿、続く)