デジタル書籍にも紙の本にも、
それぞれメリット、デメリットがある。
しかしその双方が同時に、
教科書として子どもの前に提示されると――、
という話。(写真:フォトAC)
【デジタル書籍のメリット、紙の書籍のメリット】
デジタル書籍のメリットについては一般に、
「ひとつの端末に何百冊でも入れておくことができるために紙の書籍のように重く嵩張り、場所を取るということがない」
とか、
「キーワード検索や目次へのジャンプが便利である」
「バックライトのおかげで暗い場所でも読める」
などがあげられ、紙の書籍のメリットとしては、
「目が疲れにくいので長時間でも読んでいられる」や、
「書き込みや付箋がつけやすいので、記憶にも残りやすい」
などがあげられます。
他にも、デジタル書籍は、
「ネット環境さえあればすぐに購入して読書を始めることができる」とか、
「何年経っても紙の本のように日差しや湿気で劣化することがない」
といった長所が上げられ、紙の書籍は、
「読書の途中で通知・連絡などが入って集中を妨げられることがない」とか、
「読んだ後で売ることができるのでコストが抑えられる」
とかいった点があげられますが、いずれも本質的な問題ではありません。
「紙の本には所有感がある、コレクションとしての満足感や本棚に並べる楽しみがある」とか、
「本棚には人間として育って来た私の過去と、これから読むことによって成長するだろう自分の未来がある(たぶん読まずに終わってしまうが)」
とかいった感慨も、私のような古い人間には重要な事項ですが、まったく本質的ではありません。
ただし本棚を見渡す自分を思い浮かべると、そこには情報の取扱いに関する別の、本質的な問題が浮かんできます。それが昨日もお話しした「一覧性」です。
【一覧性は圧倒的に紙】
1000冊の本が並んだ自分の家の本棚(家庭用の6段のスチール本棚で4台分弱)からお目当ての一冊を探し出すのは難しくありませんが、1000冊のブックリストから一冊を探すのは厄介です。本棚の方は読み終えた本を収納するたびに少しずつ整理して、「あの本は、この辺り」と目星がついているからです。しかも背表紙がそれぞれ個性的ですからすぐに探し出せます。
それに対してブックリストは、よほど意識して分類・作成しても、最後の(例えば「小説(日本)」という)フォルダ(または分類)にあるのは、個性のない文字列ですから、目当ての本はなかなか見つかりません。
ニュースも同じで、パッと見て必要な情報を探すには、広げればA版全紙に匹敵する巨大な空間をもつ新聞の方が圧倒的に早いですし、何が重要なのかも見出しや扱いの大きさですぐに分かります。
さらに言えば自分が拾い集めた情報も、有効に使おうと思ったらプリントアウトして読み直し、付箋をつけたりマーキングしたりして自分のそばに広げ置くのが一番です。
この考え方、私が古い人間だから紙にこだわっているのかとも思いましたが、どうもそうではありません。ブックリストも、ニュースも、自分が集めた資料素材も、それらはすべてバイキング書籍*1と同じように、選び、つまみ取るものだからです。もちろん目の前にモニターが6台くらいあって、そこに情報を並べ置くことができれば、紙でなくてもかまわないかもしれないのですが――。
【デジタル教科書の話】
紙の書籍とデジタル書籍のことを考え始めたのは、実は学校の教科書のデジタル化が念頭にあったからです。
紙の教科書と同じ内容がタブレット端末などに盛り込まれているデジタル教科書は、小学5年生から中学3年生を対象に、英語や算数・数学で「代替教材」として昨年度から本格的に使われているものです。そのさらなる活用を検討してきた中教審(中央教育審議会)の作業部会が今年(2025年)2月14日、『デジタル教科書を紙の教科書と同じように「正式な教科書」に位置づけるのが適当』だとする中間案をまとめたのです。
その上で「紙だけ」や「デジタルだけ」に加えて「紙とデジタル」を組み合わせた形式も認めるべきだとし、各教育委員会が使用する教科書を選ぶとする方向性が示されました。
しかしこれが案外に歓迎されていないのです。
【デジタル教科書の意外な不人気】
早くも読売新聞は中教審発表前の1月16日に『デジタル教科書への全面移行、多くの校長は「強い懸念」…海外では「脱デジタル」へ転換も』というタイトルでタブレットを使用した学習自体に疑問を呈し、IT先進国のスウェーデンが深刻な学力低下の原因をデジタル化にもとめて「脱デジタル」を計っていると紹介しています。さらに学術研究で有名なカロリンスカ研究所が2023年に発表した声明、「印刷された教科書や教師の専門知識を通じた知識の習得に再び重点を置くべきだ」も引用・紹介しています。
その読売新聞の記事を援用したビジネス・ジャーナルの記事(小学校「デジタル教材」先進国スウェーデンで学力の低下が顕著…脱デジタルへ)も深刻な懸念を表明し、
「子ども一人ひとりの特性に合わせてデジタル端末の使い方を工夫する必要があり」「『ここでは全員がデジタル端末を使用し、ここでは全員が紙の教材を使い、別の場面では子どもごとに教材を使い分ける』といったスイッチングの工夫にも注目が集まっている」としています。
【いずれ紙の教科書はなくなる?】
もちろん、「紙だけ」や「デジタルだけ」に加えて「紙とデジタル」を組み合わせた形式も認めるとなれば下駄は市町村教委や学校に預けられるわけで、大きな問題にはなりません。実際に使ってから工夫をすればいいだけのことです。
しかし国は、小5~中3を対象として全学校の英語と55%の学校での算数・数学にデジタル教科書を配備するのに、なんと15.6億円もの事業費を使っているのです。これを全教科に及ぼすとなると10倍では済まないでしょう。
もともと国は紙の教科書の無償配布のために毎年476億円も使っているのです。その上に追加で1500億円分も、ただで使ってくれるはずがありません。デジタル教科書は一度事業として成立させてしまえば、あとは紙代も印刷代もかからない安価な代物です。初年度に1500億円使っても2回目以降は数億円で済むかも知れません。デジタル化の背景にはおそらくそうした計算が働いているのです。
つまり2030年以降のいずれかの時、デジタル教科書が全学年・全教科に及んだ段階で、紙の教科書は廃止になるかもしれないのです。それは困ります。
(この稿、続く)
*1:昨日は「つまみ食い書籍」と表現しましたが、「フルコース」に対しては「バイキング」の方が分かりやすいので、昨日に遡って言い方を変えています