カイト・カフェ

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「自分がダメなら子どもを育てる」~教養ある家庭に関する考察あれこれ③ 

 昔の一般家庭にありがちな、趣味も教養もない普通の家庭に育った私。
 その私がダメなら、自分の子どもにそれなりの環境を与えてみよう。
 そうやって始めた「教養ある家庭」の環境づくり。
 さてどうなるのか、

という話。

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【考えてみたこともなかった友人の家庭環境】

 支配層、資本家、成功者たちは自らの成果を「努力」や「能力・才能」で説明し、そうならなかった人たちを「努力不足」や「自己責任」で片づける傾向があると考えられます。ブルデューマルクス決定論に傾くのはそのためで、
「そうじゃない。金持ちが金持ちなのは金持ちだったからで、キミが教養人なのはそもそも教養人の家に生まれ育ったからだ」
と言いたいのです。
 しかし現実の社会、例えば日本社会は、そこまで硬直化しているわけではないでしょう。

 私は高校生の時、のちに医学部に進んで医者になる年下の友だちの家に行って、そこに膨大な書籍があることに驚かされたことがあります。友人のものではありません。父親の本です。
 お父さんは何代も続く老舗旅館の婿養子で、稼業の切り盛りはほとんどお母さんがやっていましたから、本人は生涯、本を読んで遊び暮らした、そんなふうだったのかもしれません。
 もちろん彼が医学部に行くのは相応の地頭があったからでしょうが、それにしても家に本が大量にあって、父親が常に読書をしているような雰囲気の中で育てば、勉強に向かう姿勢も異なってくるでしょう。
 私が「ウンコラショ!」と重い腰を上げて勉強机に向かうのに比べたら、最低でも1割か2割引きの軽さで勉強を始められたに違いありません。なにしろ夕食が終わったら親から率先して机に向かう家なのですから。
 こうして田舎の旅館から一人の医者が生れます。さらにその友人がうまく子育てをすれば、そこから1階層、上へと昇っていくこともあったのかもしれません。

【本のある家庭の創造】

 私は子どものころから、読書も好きでしたが「本」という物体そのもの好きでした。美しく装丁された書籍はそれ自体が美術品ですから、手に入れるだけでもうれしかったのです。

 本は不注意に前から読み進むと読み終えたときに背が斜めに傾いてしまいます。そこで購入するとまずカバーを外し、後ろの方から2ページぐらいずつ丁寧に広げていきます。2ページずつというのは単に1ページだと時間がかかるからで、それをページ数の半分以上のところまで進めておきます。それから最初に戻って前から順に読み進めると、終わったときには背はきちんと丸くなっているのです。

 一冊読み終えると最後のページに読了日を記入し、ドンと蔵書印を押します。それからブックカバーが汚れないようにブックコートフィルムを貼り、最後に書棚に丁寧に入れます。そこまでが私の読書です。

 教員になってからは忙しくてなかなかそこまではできなくなりましたが、書籍自体が大切という気持ちは変わらないので一冊も捨てられません。したがっていつの間にか本棚も10台を超え、仕事部屋はかつて見た友人の自宅と同じようなものになりました。
(ただし書棚は組み立て式のスチールですし、文庫や新書がやたら多いので見た目はだいぶ貧相です)

【私自身の子どもの読書環境】

 子どもの読書環境には気を遣いました。
 二人の子には落ち着いて話が聞ける年頃から、本人が「もういいや」と言うまで、寝る前の読み聞かせを欠かしませんでした。一緒に布団に入って一冊ずつ読んでやり、そのあと一緒に眠りにつくのです。結局二人とも小学校4年生まで私の隣にいました。
 学校の持ち帰り仕事は朝3時に起きで行います。それはそれで締め切り(出勤時刻)のある仕事ですのでかえってはかどり、便利でした。

 書籍代はケチな私の家庭では唯一の例外で、私は自分にも甘かったですが子どもたちにはさらに甘くしました。中学生くらいになると1万円の図書カードを渡し、なくなるとすぐに補充してあげます。1万円といっても単行本1冊で二千数百円もしたりしますからあっという間です。
 上の女の子は困ったことに参考書マニア、かつ問題集のつまみ食い症でしたから大変な量の無駄が出ましたが、特に口出しはしませんでした。言えば切りがありませんし、始終監視しているわけにもいきません。買ったものを見比べて「こっちでいいだろう」とアドバイスするだけの時間もエネルギーもないのです。放置しました。

 下はオタク系男子ですから図書カードが全部マンガやフィギュアに化けてしまう危険性もありますし、そもそもカード自体が現金化される可能性もないわけではありません。しかしこれも覚悟を決めました。その程度は信じてやらなくてはなりませんし、実際に信じてよかったと思っています。したがってこちらも言われるままに追加して放置。
 根拠は双方とも、こちらの能力として管理しきれないことです。

 さて、そこまで手を尽くして読書環境を整えられた子どもたちはどう育ったか、ブルデューの軛を逃れることができたのか――。
 それについては明日、お話しします。

(この稿、続く)