カイト・カフェ

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「定年退職後に計画のあった人たちと何もなく退職した人たち」~今月定年退職する先生方へ③

 人生は長い。
 定年後に何かを学び始めても、十分に間に合う。
 しかしそれは計画があってのことだ。
 私の場合は、とにかく気がついたら退職していた。
という話。(写真:フォトAC)

【定年退職後の時間は十分に長い。私は何をしたいのだろう?】

 20年ほど前、まだ私が現職で、そろそろ定年後のことが気になりだしたころ、ふと娘に相談すると、こんな話をしてくれました。
「最近ネットで読んだのだけど、ある人が定年退職の際にバイオリンを習おうかと考えたのだけど、ぐずぐずとあれこれ迷って結局はやらなかったんだって。それから10年経ってふと考えたら、10年ってものすごく長い時間で、毎日1時間でも練習していたらもちろんプロ・レベルにはなれないにしても、自分で楽しむくらいにはなれたのじゃないかって、そんなふうに思ったっていうのよ。10年は長いのよ。お父さんも何か始めたら?」
 なるほど。10年間、毎日コツコツと積み上げて、それでも何の成果も出ないということもそうはないでしょう。プロになろうという訳ではないのですから、石の上にも3年、ただ励んでいれば何かできるかも知れません。どうせ時間はたっぷりあるはずです。
 そこで考えました。自分は何をしたいのか――。

 しかしこれといってありません。音楽を聞くのは好きですが、演奏したい気持ちがあるわけではない。高校生のころギターに夢中になったのも、音楽をするのが好きだったわけではなく、モテたいとか、あわよくばこれで食っていけないかとか、そういった不純な動機からでしたから退職後の活動にはふさわしくありません。
 子どものころ、自分は絵がうまいと勘違いして一時期美術部に在籍したこともあり、そのために油絵の道具まで持っています。大人になって学校の文化祭の、職員展のために何枚か描いたこともありましたが、やはり好きなわけではない。これからも好きになれそうな気がしない、実際にうまくもない。
 写真は――フェイスブックに見る友人や元教え子たちの作品があまりにも上手で、恥ずかしくてとりあえずスタートが切れない。
 スポーツは、見るのもやるのも好きではない。
 旅行は、往復の道中が面倒くさい。
――と、あれこれ考えているうちに、せっかく娘がアドバイスしてくれたにも関わらず、何の準備も整わないまま退職の日を迎えることになってしまったのです。

【定年退職後に計画のあった人たちと何もなく退職した人

 世の中には定年退職の日を指折り数えて待ち構え、その日が来ると同時に長年の計画を実行に移す幸せな人たちがいます。
 私の知る中でも、退職の翌月から陶芸科のある県外の高校に入学して、一から勉強し直した人がいました。書道と園芸を極めたいと、再任用の強力な誘いを断って家庭に入った人もいます。小さな喫茶店を開いて週3日、好きなコーヒーを淹れて過ごしている人もいますが、れで儲けようという気はさらさらなく、大損しなければいいやという態度ですからむしろ安心です。毎年何十万円もかけて海外旅行に行く人もいるのですから、楽しく商売をして毎年数十万円の赤字を出すのも娯楽のうちでしょう。
 あとは死ぬだけ、何をやってもいい。それが年金生活者の心意気というものです。これまで一生懸命働いてきたのです。少しくらい気楽にやっても罰は当たらないはずです――と、しかしその程度のアイデアでさえ、私の中にはないのです。

 定年退職までの私の人生は、ひじょうに単純明快なものでした。職業人としては教師、家庭人としては父親、それで全部です。趣味として美術鑑賞をしたり音楽を聞いたり、映画を観たりもしましたが、それらは全部いつでも捨てられるものです。友人との飲み会にもたびたび参加しますが、それも人生の中核ではありません。
 ですから子どもが成長して親離れし、定年になって退職すると何も残らないのです。そんなことは十分わかっていたのですから、きちんと準備をすればよかったのに、それも間に合いませんでした。

【退職時、私の手元にあったもの】

 ロクな準備もしないで定年退職を迎えてしまう。しかしそれはたぶん、普通のサラリーマンにありがちな姿です。
 幸い私にはその時点で85歳の、ひとり身の母がいました。定年退職と年金受給は繋がりませんでしたが、子育ての終了と介護のはじまりはピッタリ繋がっています。
 さらにまた超仕事人間の妻がまだ教育現場にいて、私がサポートしてくれればもっといい仕事ができると手ぐすねを引いて待っていました。私が家居となれば喜んですべての家事を譲ってくれます(正確に言えば、夫婦で半分に分けた家事のうち、妻の担当分全部を喜んで譲るという意味です)。さらに裏に1アール(正方形に換算すると10m×10m)ほどの畑があって、程よく百姓仕事を提供してくれます。
 あとはネットに上げたままの文章がありますから、その管理という仕事も残っています。
 介護と家事と農事と文章、以上の四つを携えて、私の隠居生活は始まったのでした。
 (この稿、続く)