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「老人の未来計画:きちんと考えたことはそれなりに現実化する」~今月定年退職する先生方へ④

 職を去っても「今日やること」のある人はいい。
 ない人は誰かから譲ってもらうか生み出すしかない。
 その際はじっくり考えて書き残しておくことだ。
 きちんと考えたことはそれなりに現実化する。
という話。(写真:フォトAC)

【年寄りに必要なキョウイクとキョウヨウ】

 年寄りには「キョウイク(今日行くところ)」と「キョウヨウ(今日すべき用事)」が必要だという話を聞いたことがあります。別な言い方をすれば、「人間としての居場所」「誰かから必要とされること」「適度なストレス」「毎日の運動」――そういったものが必要だということです。
 昨日申し上げた通り私の場合は、定年となったときも行って介護すべき母がいて、支えるべき職業人としての妻がいて、家事があり、農事があり、ネット上で始末のついていないやりかけの仕事がありと、けっこう退屈せずに済む要素がいくつもありました。それはそれでずいぶんと幸運なことです。とりあえずのキョウイクとキョウヨウは確保されていたのですから。
 私のようではなくても、長年独身で自分のことは自分でやって来たというような人は、引き続き「キョウヨウ」があるわけですからこれも困りません。それでも職業を持ちながらの家事をして来たわけですからきっと不十分なところがあり、そこを穴埋めして行けばなかなか充実した日々が過ごせそうです。

【退職者を生ごみにしない、退職者は生ゴミにならない】

 困るのは配偶者を家事専業にしておいて自分は何もしなかったというような人です。しかも配偶者が自分の仕事に誇りを持っていて家事の一部ですら譲り渡さないとなると、退職者は1日じゅう部屋のどこかに転がっているゴミです。しかも生ゴミですので始末に悪い。きちんと対処しなければいつか腐ってきます。
 具体的に言えば家事専業者が生ゴミの面倒を見られる間はいいのですが、60歳を過ぎるといつ何が起きるか分かりません。多くの妻は自分が先に死ぬことを予定していませんからノホホンとしていられますが、先に逝くことだってあるのです。そうなると家の中に生ゴミだけが残されるわけで、これは本人にとっても社会にとっても危険です。少なくとも近所迷惑です。
 
 家事は細かな技術や配慮の必要な面倒な仕事ですから、それをすっかり融通の利かなくなった大人に教えるのは容易ではありません。結局「自分でやった方が楽」という面はあるのですが、それでも状況は大きく変化しているのです。自分亡きあとも配偶者がひとりでも生きられるように育て直しておくことは、配偶者自身にとっても社会にとっても必要なことです、泣いて自らの仕事を削り、相手に渡しましょう。もちろんそれは私のところがこれからしなければならないように、妻が私のできない調理と買い物を教えると同時に、私が妻に農事を教えてできるようにしておくといったふうに、相互的であるべきです。

【死ぬまでにやっておきたい10のこと】

 私には職業を失ってもやるべきことがそこそこありました。けれど与えられているものだけでなく、定年を契機に新たに始めるものもあるべきだと考えて、9年前の2016年4月に、このブログで「死ぬまでにやっておきたい10のこと」というタイルで書き残しました。
 今回思い出して読んでみると、4月13日*1に始まって14日*2、15日*3と三日続きの記事があり、やりたいことの1~5までが書かれているのですが、4月14日の夜に翌日(15日)の分を書いてネットに予約投稿にし、さあ就寝の準備だとテレビ・ニュースを見ながら歯磨きをしていたらそこに入ってきたのが熊本地震のニュースだったのです。
「大災害が起こって学校が避難所となった場合、学校はどう対処すればいいのか」
という問題は私にとって重要な主題でしたので、15日はそれについて書いて16日の分の記事として、そのまま同じ主題で数日書いて、書きながら“熊本城は立派だったなあ”と感慨に耽って、それから城の歴史について改めて調べて書き始めたら、「死ぬまでに~」のことはすっかり忘れてしまったのです。

 ようやく思い出したのは地震から二カ月以上経った6月21日のこと。そこで22日の記事*4に6項目の「ライザップに挑戦する」(ライザップは実際に申し込むたいへんな費用が掛かるので、いかに金をかけずにライザップと同じ効果を生み出すか)を書いたのです。ところがあちこち調べるうちにコメにまつわるいくつかの話題を思い出し、二日ばかり「コメのウンチク」を垂れていたら、そこへ「イギリスのEU離脱」というとんでもない話題が挟まって、「死ぬまでに~」は再び忘れ去られることになったのです。そして二度と思い出さなかった――というよりしっかり書き終えたつもりになっていたのです。

【きちんと考えたことはそれなりに現実化する】

 私はけっこう律義な頑固者ですから、どんな尻すぼみの惨めな姿になったとしても、中絶ということはないはずなのに、やはり事故は起こるものです。しかも書き残さなかった7番~10番に何を書こうとしていたのかも思い出せず、ファイルの検索機能を使ってようやく探し出しました。項目だけ残っていたのです。それを含め、「死ぬまでにやっておきたい10のこと」は次のようになっていました。

  1. 百姓仕事を覚えたい
  2.  庭木の剪定について勉強したい
  3.  部屋の片づけをしたい
  4.  家の部分リフォームをしたい
  5.  書類や作品、これまで書いた文章を整理したい
  6.  ライザップに挑戦する
  7.  本を読みたい
  8. 教え子の中で、気になる子どもの予後調査をしたい
  9. 未就園児の親子にアドバイスができるような勉強をしたい
  10.  京都・奈良・広島・長崎をゆっくり旅したい

 アメリカの成功哲学者・自己啓発作家のナポレオン・ヒルは、著書「思考は現実化する」の中で、
「実現したい具体的願望、そのための代償、最終期限、そして詳細な計画、以上の4点を紙に詳しく書いておけ、そして紙に書いたこの宣言を、1日に2回、起床直後と就寝直前になるべく大きな声で読め、それが成功のカギだ」
みたいなことを言っているそうですが、私の場合もキチンと回を置いて考察した1~6については、継続中のものがほとんどですが、一応手がついていたりかなり進んでいたりします。ところが、(正確に言えば)「むかし読んで印象深かった本をもう一度読み直したい」という意味の、7番「本を読みたい」以降は、まったく進んでいません。心の隅にも残っていないものは現実化しないのです。
 たとえ書いたことは忘れたとしても、自分のやりたいことを具体的に思い浮かべて整理し、記録したことは、意味のあることだったに違いありません。気持ちのどこかに残っていれば、知らず知らずのうちに細かな判断に影響を与え、その積み重ねが人生そのものを動かしていく、そういうことがあるのでしょう。
(この稿、続く)