NHK大河ドラマ「光る君へ」、
それにしても、紫式部を大宰府まで行かせる必要があったのか?
そこでふと思い出したのは、
伊周(これちか)の、あの激しい呪詛のことだった、
という話。(写真:フォトAC)
【視聴率10%はまるで話題にならないドラマか】
昨日の日刊ゲンダイDIGITALの記事『過去最低視聴率は免れそうだが…NHK大河「光る君へ」はどこが失敗だったのか?』に、ファンのひとりとして苛ついています。中を見ると、
「なんとか世帯視聴率で過去最低は免れそうだが、良くも悪くも、まるで話題にならないまま12月15日放送で終わる。大石静の脚本、女性主役のドラマを得意とする内田ゆきプロデューサーが制作統括ということで、大いに期待されながらコケた」
確かに平均視聴率は10%をようやく越えるか越えないか――これではNHK大河ドラマとしては最低レベルと言われても仕方ない数字です。ただしこの秋のドラマ視聴率ベスト5は以下の通り。
- ザ・トラベルナース - 平均視聴率 11.0%
- 海に眠るダイヤモンド - 平均視聴率 8.7%
- 嘘解きレトリック - 平均視聴率 6.6%
- ライオンの隠れ家 - 平均視聴率 6.4%
- 放課後カルテ - 平均視聴率 6.08%
しかも「光る君へ」は地上波以外にBSプレミアムでも放送し、再放送があり、NHKプラスでも視聴できます。視聴率は主として初回放送時のデータを基に計算されますから、10%越えでも十分な数字なのです。これで「コケた」と言われたのでは、「海に眠るダイヤモンド」以下は放送に値しないクズドラマということになってしまいます。私は1番から5番まで、全部見ていますがどれも面白いですよ。
もっとも日刊ゲンダイDIGITALの記事ごときに熱くなるのもどうかしていて、もともと上品な新聞ではありませんし、五大新聞でさえWeb版は品がなくなります。真面目に付き合ってはいけない記事も少なくありませんし、特にこの記事は明らかに収益狙いの「飛ばし記事」もしくは「釣り」ですから、本来は放っておけばいいような話なのでしょう。
私はつい最近、『【衝撃】小学校の女性教師が児童に暴行「感情のコントロールできなかった、わざとじゃない」キックや平手打ち連発で停職処分に…警察が取り調べ 中国』という長いタイトルを最後まで読まずにクリックして、FNNとそれを引用したYahooの収益に貢献してしまいました。腹が立ちました。
【「光る君へ」の特別な楽しみ方】
ただし「光る君へ」の視聴率が十分に上がらないことについては理解できます。今回の大河ドラマが楽しくて仕方ない人たちの中には、今までにない特殊な楽しみ方をしているひとたちがいて、それはドラマを「源氏物語」あるいは「紫式部日記」、さらには「小右記」や「栄華物語」と対照しながら謎解きのように見るというやり方です。そうしたことができないと、「光る君へ」は変化に乏しい難解なドラマということになりかねません。
「源氏物語」を私は、原文では読んでいないのですが、谷崎潤一郎訳で若いころに全篇読み通しましたし、「紫式部日記」は今回の放送に合わせて山本潤子訳注で読みましたからやはり面白い。また、かつて社会科教師でしたから平安時代の歴史には他の人よりも多少は詳しい。あの有名な和歌、
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
は、毎年必ず授業で扱ってきたもので、それが藤原全盛を謳歌する傲慢な歌だとする考え方と、そうでもないという見方の両方があることも知っていました。それを前提とすると先週日曜日(11月25日)の四納言(しなごん:斉信・俊賢・公任・行成)の会話も面白くして仕方ないのです。
藤原斉信(金田哲):「昨夜の道長の歌だが、あれは何だったのだ」
源俊賢(本田大輔):「この世をば・・・。栄華を極めた今を、謳い上げておられるのでありましょう。何もかも、思いのままであると」
藤原公任(町田啓太):「今宵はまことによい夜であるなぁ、くらいの軽い気持ちではないのか。道長は皆の前で奢った歌を披露するような人となりではない」
藤原行成(渡辺大知):「私もそう思います。月は后を表しますゆえ、3人の后は望月のように欠けていない、よい夜だ、ということだと思いました」
斉信(金田哲):「そうかなぁ」
最後の「そうかなあ」は、会話の流れの中にあったこととはまた別のことを考えているようで、これも面白い。道長がこの歌を詠んでから1000年ものあいだ論争になっている話を冒頭で四納言に語らせる――大石静、なかなかやるな、とそんな感じになるのです。
視聴率の上がらないことについてはさらに別の理由もあって、最近のドラマは登場人物の心の中をいちいちナレーションで話してしまいますから(バカにしてますよね)、吉高由里子さんの目の表情や黒木華さんの口元を読むなどといった難しい鑑賞は流行らないのでしょう。
【式部は何しに、太宰府へ】
その11月24日の放送分で、主人公の紫式部は女房の職を辞して須磨から大宰府へ向かう旅に出ます。
私は大石脚本のほとんどすべてに賛成していて、身分差はあったとしても同じ貴族どうし、道長と紫式部とは親交があっても不思議はないし、恋愛関係も不倫関係も大いにあり得る、清少納言とも同じ有名女流文学者として親交がないはずがないし、「源氏物語」が最初から政争の具として書かれたという説にも全力で応援していきたい気持ちです。
ただ「源氏物語」の中で、光源氏が京都から現在の神戸市須磨区に流されただけでも従者たちが寂さに大泣きしたというのに、いい齢をした紫式部が須磨を越えて太宰府までの大旅行とはまた大層な、とすこし鼻白らんだ気持ちでいたのです。しかし昨日(12月1日)の回を観て、少し考えを改めました。これはもしかしたら紫式部ではなく、「光る君へ」のキャスト・スタッフにとって必要な旅行だったのではないかと思ったのです。
道長の栄華は兄・道隆の一族を徹底的に叩き潰した上に成立したものです。その道長ともっとも敵対したのが道隆の長男の伊周(これちか:三浦翔平)で、ドラマの中でとにかく繰り返し、繰り返し、全霊を込めて呪詛を重ね、それでも道長を倒すことはできなかったのです。それだけ道長の運は強かったわけですが、伊周のつぎ込んだ霊力はどこに行ってしまったのでしょう? このまま道隆の一族(藤原北家中関白家)の復権なしに番組を終えたら、キャスト・スタッフにどんな災厄が降りかかってくるかもしれません。
そこで大宰府なのです。刀伊の入寇(外国勢力の侵攻)に際して中関白家の唯一の生き残りの藤原隆家(竜星涼)が立ちはだかりこれを退散させた、その部分を織り込むことによってようやく伊周の呪いから解放される――大石静はそう考えたのかもしれません。だから紫式部に太宰府まで行ってもらわなくてはならなかったのです(ホントかな?)。あとわずか二回、この先どうなるのか、楽しみに待ちましょう。
ちなみに隆家の活躍については第20回「望みの先に」(5月19日放送)ですでに、陰陽師・安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が道長に対して「隆家様はあなた様の強いお力となりまする」と予言していました。
私はふと、映画「ロード・オブ・ザ・リング」で初めて目撃された怪人ゴラムについて、従者のサムが「殺してしまいましょうか」と提案した際、魔法使いのガンダルフが「放っておきなさい。あヤツにもきっと何か大切な役割があるはずじゃ」と言い、実際に物語の最終盤でこれ以上にない決定的な役割を果たしたことを思い出しました。
そうです、私たちには皆、それぞれ決定的な役割があるのかもしれません。
(この稿、続く)