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「『源氏物語』の書き始めの場面に立ちあう」~テレビドラマを見なおす②

 NHK大河ドラマ「光る君へ」、
 いよいよ紫式部が「源氏物語」を書き始めた。
 しかしそれは純粋な文学的興味からではなく、
 厳しい政争の中で、優秀な武器として書かれたのだ、
と思い込んだ話。(写真:フォトAC)

【周知の事実をいじり直して書き換える歴史】

 いわゆる「歴史マニア」は二つの切り口で四つのグループに分けられます。
 切り口のひとつは奈良時代以前の、文書や絵画といった資料が揃っていない時期を愛する人とそれ以降を好む人、もうひとつは京都や江戸などそれぞれの時代の中心地で起こっていたことに興味のある人と、郷土史に類する内容が好きな人です。
 総じて古い時代を好む人にはロマンチストが多く、中世以降を好む人はリアリストが多いといった感じがしますし、地方史に傾斜すればするほどマニアックな人が多いといった印象もあります。
 私自身はごくありきたりな歴史ファンで、源平の合戦から幕末・明治までの中央の歴史に興味があり、壮大なロマンを語るというよりは、周知の資料をもう一度いじり直して新しい歴史観を組み直すといった研究が好きです。
 そうした私からすると、今回のNHK大河ドラマ「光る君へ」は面白くてしょうがない。資料が多すぎてガチガチの時代ではなく、さりとて何でもありのファンタージーが紡げる時代でもありません。ほどよい曖昧さの中で、脚本家の大石静は素材を自由自在にあやつって見事な世界を創り上げたように思うのです。

【前回(8/18放送)まで】

 ドラマ平安時代藤原北家内部の、静かな内紛を背景としています。
(以下、説明が分かり易くなるよう登場人物に大河ドラマで役を演じた俳優さんの名前も書き添えながら、状況の変化を箇条書きで書いて行きます)

  1. あちらにいるのが娘(吉田羊)を宮中に入れて生まれた男の子を、天皇一条天皇:塩野瑛久)にすることで権力の礎を築いた藤原兼家段田安則)。その長男の藤原道隆井浦新)も娘(定子:高畑充希)を一条天皇の后とすることで権力の大きな力を持ちました。
  2.  しかし道隆は病気であっけなくこの世を去ってしまい、藤原北家の直系は息子の藤原伊周(これちか:三浦翔平)が継ぐことになります。その前に立ちはだかったのが藤原道長柄本佑)、伊周にとっては父道隆の弟、つまり叔父にあたる人です。
  3.  道長は伊周の家の混乱に乗じて、当時わずか12歳(満11歳)の娘彰子(見上愛)を一条天皇の4人目の后として宮中に入れ、権力の地盤固めに奔走します。
  4.  しかし伊周には極めつけの武器がありました。それは父道隆が宮中に送り込んだ実の娘、伊周にとっては妹にあたる定子です。一条天皇は定子にぞっこんで、さまざまな事件を経たあとで絆はさらに深まり、ふたりの間には三人の子どもが生れます。続けて女の子を生んだ後に将来の天皇となるべき男の子が生れ、伊周の権力はますます保障されたと思われたのですが、その三人目を産んだ直後に、定子は産褥で急死してしまうのです。
  5.  切り札を失った伊周に力を貸したのは清少納言(ファースト・サマー・ウイカ)でした。清少納言はかつて失意の皇后定子のために書き始めた枕草子を完成させて伊周の元に届け、
    「あの楽しく華やかであった皇后さまの御在所の様子を書き連ねたものにございます。皆の心のうちに末永く留まるように、宮中にお披露目いただきたく存じます」
    と依頼するのです。ところが伊周はそれを直接天皇の元に届け、
    「これは彼の清少納言が、皇后定子さまとの思い出をさまざまに記したものにございます。お側にお置きくださいませ」
    と申し添えます。
  6.  伊周の目論見は当たって、天皇の気持ちは再燃「これを読んでおると、ここに定子がおるような気持ちになる」と耽り込み、政務を疎かにするようになります。道長の娘で唯一の后となった彰子には見向きもしません。
     ここまでが前々回、第30回「つながる言の葉」の内容です。中宮彰子を通して天皇を、ひいては国政をコントロールしようとした道長の目論見が、頓挫しそうになるのです。
  7. 打つ手のなくなった道長は、まひろ(紫式部吉高由里子)の元を訪れます。面白い物語を書く女がいるとの噂を聞きつけたからです。最初、道長から娘であり天皇の后でもある彰子を慰めるために物語を書いてほしいとの説明を受けていたまひろは、道長も実は直接天皇に渡すつもりでいたと聞いてむしろ俄然、意欲がわき、丸一晩、道長から宮中の話を聞くと、さっそく物語の作成に取り掛かり、最初の章を書き上げたのです。それが前回、第31回「月の下で」の内容でした。ようやく「源氏物語」が書き始められます。

 

【『源氏物語』の書き始めの場面に立ちあう】

 ドラマの中で吉高由里子さんが「源氏物語」を書き始める場面では、まるでこれから千年の名作が書かれる最初の瞬間に、ほんとうに立ち会ったみたいな感じがして心が震えました。
いづれの御時にか、女御(にょうご)、更衣(こうい)あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
(いずれの帝の御代であったか、大勢の女御、更衣がお仕えしているなかで、身分はそれほど高くはないが、ひときわ寵愛を受けていた更衣がいた)
 もうそれだけで胸がときめきます。*1
 さらに進んで、
「入内(じゅだい)のときから、われこそはと思い上がっていた女御たちは、その更衣を目障りな女、とさげすみ妬ねたんだ。それより下位の更衣たちは、なおのこと心安からず思っていた。朝夕の宮仕えのたびに、女御たちの心を掻き立て、怨みをかったせいか、その更衣は病気がちになり、里帰りがしげく、帝はいっそう更衣を不憫に思われ、人々のそしりをもかまわず、世間の語り草になるほどのご寵愛であった」
と、ここまで読むと私ははっと立ち止まり、再び心を震わせます。
「ああ、そうだったのか。桐壺の更衣に関するこの記述は、中宮定子のことをほとんどそのまま書いた部分なのだ」
 ドラマの中で定子が直接意地悪をされるといった場面はなかったように思うのですが、清少納言がまひろ(紫式部)を初めて定子に紹介する場面で、廊下に撒かれた何かを踏んで痛い思いをするといった場面はありました。それに対して清少納言は《いつものこと》みたいな反応をしたように思います。天皇の寵愛を独り占めにする定子は当然、妬まれたでしょうし、とつぜん亡くなってしまうところも桐壺の更衣と同じです。
 
 原文を詠んだ道長は、宮中の内実を赤裸々に描いたことで天皇の機嫌を損ねるのではないかと心配しますが、まひろはこれでなければ絶対にダメだとあとに引きません。それは天皇の心を枕草子から引き離し、定子からも引き離して彰子に向けるには、定子自身の力を借りるしかないと信じたからなのでしょう。なんとすばらしい発想か!

【ちょっと待て】

 ――と興奮して、そこからふと立ち止まります。
 あれ? これって史実だったっけ? 大石静が勝手に考えたフィクションだったのじゃないか?
 もしかしたらあったかもしれないが、やはりなかったに違いない「(藤原伊周清少納言枕草子)v.s.(藤原道長紫式部源氏物語)」という構図。こうしたものを平気で作り上げるのが「光る君へ」の凄さです。
(この稿、続く)

*1:若い人なら文学に恋をする瞬間ですからそれでいいのですが、70歳を過ぎた老人は別のことを心配しなくてはなりません(心筋梗塞の疑い)