「丑の刻参りセット」がネットで売り出される時代、
呪詛や怨霊はあまりにも軽く扱われ過ぎる。
あるいは古代史を呪術中心に学び直したら、
歴史がよく分かり、先祖への敬意も高まるのではないか、
という話。(写真:フォトAC)
【ますます盛んな「丑の刻参りセット」】
教員になったばかり年ですからもう40年以上前の話ですが、生徒と地域調査をしている最中、通りかかった神社の石垣の間に小さな藁人形が押し込んであるのを見つけたことがあります。5cmほどの大きさで、特に釘が刺さっていたわけでもありませんが、深夜ここにきて藁人形を押し込んでいった人間がいると思うと、少し背筋の寒くなる感じがありました。
小さなものとはいえ、そもそも藁を探してきて作ること自体が手間がかかるじゃないですか。それに“みんなで楽しく藁人形”というわけにはいきませんから、ひとりで隠れてやるわけですよね。それってやはり鬼気迫る感じがしてきません? 昭和もすでに60年代(そのころ)だというのに、今どきそんな人間もいるのだと、薄気味悪くも、感心したものでした。
ところがそれから十数年経ってネット通販が盛んになったころ、あれこれ探しているうちに「丑の刻参りセット2000円」とかいうのを発見し、どう反応したらよいのかも分からなくなりました。
さらに今回、この記事を書くにあたってまた調べ直したら、アマゾンだけでも280円から21,000円まで、藁人形や呪詛セットが何十種類も売られているじゃないですか*1。なんだか時代が進むにしたがって丑の刻参りが盛んになっているようで気持ちもよくありません。出品された藁人形のうちのいくつかは「ジョークグッズ」とか「演劇・コスプレ用」とか銘打ってあるのですが、それはおそらく出品者がビビッて冗談のふりをしているだけなのでしょう。呪詛の片棒を担ぐわけですから、ただで済むはずもないのです。
*1:Amazon.co.jp:藁人形 通販
【人を呪わば穴二つ】
アマゾン以外にも「呪詛専用」「藁人形10点セット」を謳う専用サイトがいくつもあって、中には、
「呪うのはかまいませんが、呪ったことを本人に言えば恐喝罪に当たることもあります。また呪詛のために他人の土地に入ると侵入罪にあたることもあるので注意しましょう」
などと注意を促しているところもありますが、違うでしょ。
「人を呪わば穴二つ」といって呪詛は生半可な気持ちでやってはいけないのです。呪えば必ず呪い返される(これを「呪詛返し」とか「呪い返し」と言います)のは当たり前。したがってやるときは自分もやられる覚悟でしなくてはならないのです。
しかし今の子はそんなことも知らない――というか私を含めて戦後育ちの人間は呪術だの呪詛だの怨霊だのといったことをほとんど学ばずに大人になってきます。もちろん英語だのコンピュータだの、現代の子どもたちは学ばなくてはならないことが多すぎて手が回らないのですが、ほんとうはそうしたおどろおどろしい迷信の世界にも知識の足を踏み入れて、理解するものは理解し、切るものは切っておかないと、初めて知った非科学の世界がカルトだったりしたら目も当てられません。
【子どもの骨を踏みつけにする】
半世紀ほど以前、私はある高速道路建設予定地で縄文遺跡の発掘調査をしていました。アルバイトですから正確に言うと調査のお手伝いです。
そのとき出てきた竪穴式住居の入り口に、直径50cmほどの丸く平たい石がありました。人が出入りするたび踏むことになる石ですが、そのすぐ下に先のとがった縄文式土器が埋まっていたのです。玄関の丸石が土器の蓋のように被せられていたわけです。
私が見たときは細かくひびの入った土器の中に長い年月をかけて滲みこんだ土しか入っていませんでしたが、埋められた段階で何が入れられていたのかは分かっています。人骨です。しかも土器のサイズから子どもの人骨が入っていたと考えられています。なぜ子どもの骨なのか――。
古代、神羅万象のすべては目に見えない何者かによって司られていました。昨日まで好天が急に嵐になったり、とつぜん大地が揺れはじめ崖が崩れ、あるいは火山が爆発したり――。さきほどまで元気だった人が突然なくなり、ひとがバタバタと病気で倒れ、雷が直接ひとを殺したり、さらにある日、急に太陽の光が弱まったと思ったらそのまま夜になってしまい、すぐに夜は明けたものの後に何ものも残さないとはとても思えない――そうした天変地異を起こす存在は時に“神”と呼ばれ、時に“怨霊”と呼ばれ、時に呪詛かもしれないと怖れられたり――。
若くして死んだ子どもたちはそうした”呪詛”“怨霊”の第一の候補です。長く生きて十分に楽しんだ年寄りたちは、基本的にこの世に何の恨みも残しません(そもそも疲れてもいます)。しかし子どもはそうではありません。若い分だけエネルギーもハンパではないのです。だから毎日踏みつけにして押さえていないと安心できない。
縄文弥生の時代から平安中期くらいまではまさにそういった魑魅魍魎、妖怪百鬼、鬼神悪霊が地上を跋扈した時代です。武士が出て来て源頼光が彼の四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)とともに酒呑童子を殺したあたり(995年:紫式部が結婚して大弐三位を生んだころ)から、人々はただ怯えているだけではなく、怪物や亡霊と戦うようになったと私は考えていますが、それまでは陰陽師に頼むくらいしか方法がなく、貧乏人にはなすすべがなかったと思うのです。
【古代史を、呪術中心に学んだらどうか】
水甕のような大きな甕に、手足を小さく折りたたんだ遺体を入れた弥生時代の埋葬様式を、甕棺墓と*2いいます。中学校の教科書にも写真がよく載っていて、生前豊かだった人の墓だという説もありますが基本は封じ込めでしょう。死者は怖いのです。
古代の人々の頭の中には常にその問題がありました。したがって甕棺墓の時代から平安中期までの歴史を、魑魅魍魎、怪物や亡霊、怨霊との戦い、呪術の歴史として子どもたちに教えれば、事象がずいぶんすんなりと落ち着くと思うのです。
度重なる遷都とか仏教への帰依、大仏の建立などは、そうした視点に立つと呆れるほどよくわかります。そしてそんな学習をもう少し丁寧にするだけで、先祖を敬うとか、先人を想うとか、あるいはこの国を愛するといったことも、そう困難なく果たせるのではないかと思ったりもするのです。
現在のカリキュラムでは時間が全く足りていないので、とてもできるものではありませんが――。
*2:甕棺墓
(この稿、終了)