カイト・カフェ

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「静と式部、嘘を書いたのは式部の方だったのかもしれない」~“光る君へ”がますます面白くなってきた

 「光る君へ」。
 ここにきて、源氏物語紫式部日記との対比が多くなってきた。
 実際の文書資料をどう料理するか、そこに脚本家の腕が見える。
 虚々実々、それは実に面白い。
という話。(写真:フォトAC)

【ちょっと夢中】

 私はめったに人をバカにしたり無視したりもしない代わりに尊敬したり崇拝したりもしない相対主義者で、ずいぶん齢もとっているので、もう何年も誰かに心酔するとか感心しっぱなしということがありませんでした。しかしここにきて脚本家の大石静にホトホト感心し、心動かされ、嫉妬もしています。嫉妬というのはその才能に対してではなく、「源氏物語」という最高の素材を前に、十分なスタッフに囲まれて存分に創作できるその立場に対してです。もちろん才能のある脚本家だから得られたものなのですが――。

【物語の中にそれぞれが自分を発見する】

 ドラマは源氏物語が書きはじめられた先月18日の第31回「月の下で」以降、それまでと違った趣が備わるようになってきました。以前は自由奔放に描かれていたものが、「源氏物語」や「紫式部日記」の記述との対照で進んでいくようになったということです。
 
 例えば先週(9月15日)の第35回「中宮の涙」では、それまで一条天皇が自らの皇子の敦康親王(あつやすしんのう)とその子を預けた中宮彰子の関係を、幼い光源氏と養育を任された藤壺更衣との関係に重ね、恋愛に発展するのではないかと気をもんでいたところ、実は中宮は自分を藤壺更衣の姪で、幼い時に光源氏の元に招かれやがて最愛の妻となる紫の上になぞらえていて、だから「お慕い申し上げております」という話になるというくだり、思いついた瞬間に欣喜雀躍してほんとうに踊り出しかねない脚本家の姿が目に浮かぶようです。私だったらとりあえず踊って腰を傷める――。

【有名な場面も、ひとこと入れるだけで趣旨を変えてしまう】

 今週(22日)の第32回「待ち望まれた日」は「紫式部日記」との対照で物語が進みました。
 中宮彰子が初めての子を産み、現代では「お食い初め」にあたる50日目の祝い(御五十日〈おほんいか〉の祝い)の席で、酔った藤原公任が「失礼ですが、このあたりに若紫(紫の上の幼名)はおいでかな」と聞いたのに対し、紫式部が「ここには光る君のような殿御はおられませぬ、ゆえに若紫もおりませぬ」と応えたという話。これは本文以外で源氏物語について触れた最も古い記録として有名な一節ですが、私はこれを教養人である公任がちょっとキザに語り掛けたのに対し、紫式部が同じく機知に富む文化人としてきちんと受けて返した、そういう話として聞いたのです。ところが大石静は原文にない、公任の今でいうセクハラ発言をひとつ加えて、全体の雰囲気を変えてしまいます。
 公任は「失礼ですが、このあたりに若紫はおいでかな」と式部たちを見回して、それから溜息をつく感じで「若紫のような美しい姫はおらぬのう」と言う。
 そうなると紫式部の返しの意味も変わってきます。
「あなただって和歌・漢詩・管弦の三舟の才に恵まれて昔はモテたかもしれませんが、いまやいい齢。見回せばあなたを筆頭に光る君みたいな男性がひとりもいないこの席に、紫の上なんているはずないじゃない」
というわけです。公任が40歳代前半、紫式部が30歳代の中盤くらい時期の話です。すでにシングルマザーで寡婦ですから、黙って引き下がったりはしないのです。

【もともとはそれほど危険な事件ではなかったようだ】

 そうかと思うと宴の際中、紫式部道長から「なんぞ歌を詠め」と求められてその場で一首詠みます。
「いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」
(幾千年にも余る、あまりにも久しい若宮様の御世を、どのようにして数え上げることができましょうか、いいえ、決してできはしません)
 ドラマではそれを聞いた道長が即興で和歌を合わせることになります。
「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へとりてむ」
(鶴がもつという千年の寿命、それが私にあるならば、若宮の御世の千年先まで年を数えとることができただろうに)
 その見事な符合に人々はどよめき、女房のひとりが「阿吽の呼吸で歌を為替類なんて・・・」と驚く中、道長の正妻の倫子と宮廷サロンの引き回し役である赤染衛門の二人だけが何かを察したような微妙な表情をして、倫子はすぐにその場を立ち去ります。
 二人がかつて不倫の関係にあり、その間に女の子(後に百人一首大弐三位〈だいにのさんみ〉として知られる女性)が生れたことを知っているのは、紫式部道長と、私たち視聴者だけです。
 実はこの倫子が席を外す話も「紫式部日記」にあるそうで、ただし「日記」では酔っぱらってはしゃぐ道長を見ていられないということで中座したことになっています。脚本家はそれをうまく利用したのです。けれどその方が絶対に面白い。

【式部の方が嘘を書いたのかもしれない】

 「光る君へ」の面白さのひとつは、それがあったかもしれない、あるいはありえたはずのもうひとつの歴史物語だということです。
 道長紫式部が幼少のころから知り合いだった可能性――あるでしょう。なにしろ10万人の平安京で、家族を合わせて3000人しかいない貴族社会。しかも午後から夜にかけて、貴族の男たちは老いも若きも未婚も既婚も、若い女の尻ばかりを追っている時代です。3000人の貴族の半数が男、残った1500人女の3分の2が子どもか老女、恋愛の対象となるのはたった500人ほどです。そこへ1500人の男たちが群がるわけですから、たいていの女性は掘りだされてしまう。若き道長紫式部と知り合いになる可能性は大いにあると言えます。
 清少納言紫式部は宮中に出仕している時期が重ならないから会う機会もなかった――それも信じられません。存命中から超有名な二人です。誰も引き合わせない、どんな儀式にも同席させない、そんなことがあるのでしょうか? 
 道長紫式部の間に不倫関係があったって、一夜限りも含めれば、いくらでも可能性があります。当代一の権力者(道長)がその気になれば何でもできますし、性道徳の緩かった時代、女性の方も権力者を遠ざける理由はどこにもないからです。和泉式部などは天皇の皇子とさえ関係を持っています。
 紫式部の日記に記述がないからそれは事実ではないとは言えません。最初から誰かに読まれることの予定されている日記に、ほんとうのことなど書くはずがありません。どうせ作家は嘘をつくものです。1008年の紫式部と2024年の大石静の、どちらの方がよりウソがうまいのか、本人ですら分からないことでしょう。