土日と二日に分けて、
NHKは1971(昭和46)年の紅白歌合戦を放送した。
半世紀前の若者たち、時代の最前線の人々・・・。
驚いたことに私は、彼らの「その後」を知っているのだ。
という話。(写真:NHK)
【1971(昭和46)年第22回NHK紅白歌合戦を観た】
一昨日、昨日と二日に分けて放送のあった1971(昭和46)年第22回NHK紅白歌合戦(リマスター版)を観ました。いろいろ感慨のある放送でした。
71年といえば半世紀以上、実に53年も前の放送で、私はそのとき高校3年生、最初の大学入試まで2週間を切っていたと思うのですが、おそらくリアルタイムでこの放送を観ていました。私はそういう子でした。
このとき放送された曲の大部分を私は知っていて、テロップで歌詞を見れば、いまでも歌えます。当時は今と違って音楽の発信源がほぼテレビとラジオに限られていましたから、流行に聡い若者なら、ほとんどの曲に繰り返し接触することができたのです。
その年に18歳だった私は、まさにその「流行に聡い若者」で、すべての歌手に知識があり、曲を歌え、そして1971年以後の彼らの姿も、つぶさに見てきたのです。この半世紀の間に、彼らがどうなったか、どうなっているのか、けっこうな知識があるのです。
【亡くなった人々】
たとえばこの時の白組トップ(全体でも1番)の尾崎紀世彦は、その年の歌謡大賞とレコード大賞のダブル受賞とともに紅白初出場も決め、得意の絶頂にいました。翌年も「ゴッドファーザー愛のテーマ」などのヒットで紅白連続出場を果たしますが、ほんとうにすごかったのはその辺りまで。その後は目だったヒット曲を出すこともなく2011年、肝臓がんのために亡くなります。最終的な死因は肝臓がんでしたが、依存症が噂されるほどの飲酒癖があったようで、酒のために命を落としたとも言われました。
飲酒といえばこの年に紅白合戦のトリ前(最後から2番目)を務めた水原弘は、7年後、アルコール性の急性肝炎から慢性肝炎、肝硬変へと悪化させ、42歳の若さで亡くなります。放蕩の限りを尽くして、亡くなった時には1億円近い借金があったといいます。
この年の大トリの美空ひばりは、18年後の1989年6月に亡くなります。直接の死因は「特発性間質性肺炎の悪化による呼吸不全」ということになっていますが、肝硬変と大腿骨頭壊死も同時に抱えていました。特発性間質性肺炎は喫煙と、肝硬変や大腿骨頭壊死はアルコールとの関連が強く疑われる病気です。わずか52歳でした。
歌合戦の合間にひょうきんをやっていたヒデとロザンナの出門英は19年後、病気から逃げまくった挙句、結局、結腸癌でなくなります。手遅れになるまで病院には行かなかったようです。
その他、ピンキーとキラーズのパンチョ加賀美も岸洋子も、青江三奈も島倉千代子も皆、今はこの世にいません。朝丘雪路、雪村いずみ、真帆志ぶき、弘田三枝子、西郷輝彦、村田英雄、三波春夫・・・。
鶴岡雅義と東京ロマンチカは、リードボーカルの三條正人だけが難病のために亡くなっています。ダークダックスは昨年(2023年)のゾウさんこと遠山一を最後に、全員が亡くなっています。パクさん、マンガさん、ゲタさん、覚えていますか?
【運命の人たち】
私がこの年の出場歌手でもっとも好きな歌手は弘田三枝子とザ・ピーナッツですが、双子デュオのザ・ピーナッツの姉・伊藤エミは4年後、当時のスーパースターと結婚して一児をもうけますが結婚から12年後、当時の第一線級女優に夫を略奪され、離婚。この時支払いを受けた慰謝料18億1800万円は現在でも芸能人の最高額だと言われています。それほどの慰謝料を吹っ掛けたのも未練があったからなのでしょう。離婚から25年後の2012(平成24)年にがんのために亡くなりましたが、最後まで元夫の姓を名乗ったと言います。
この離婚と略奪婚は関係者3人の全員にとって不幸でした。伊藤はもちろん、あとの二人は今も芸能界にいますが、この時の離婚・結婚を区切りに神通力がすべて消えたように、普通の歌手と普通の女優になってしまいました。沢田研二と田中裕子です。
芸能人同士の結婚といえば71年の紅白では新婚の前川清・藤圭子夫妻が同時出場する予定でした。ところが前川が急病で出場辞退となり、藤圭子ひとりの出場となりました。藤は持ち歌の「みちのく小唄」を歌ったのですが、1・2番までを歌い終えると背後にクールファイブのメンバーが入り、そのまま続けて前川の「港の別れ歌」を歌って喝采を受けます。若干二十歳なのにとんでもない歌唱力で、その歌のうまさも驚かされましたが、この時の不愛想も記憶に残るところです。あとから考えると前川の曲を歌うのは本当に不本意だったのかもしれません。翌年二人は、あっけなく離婚してしまいましたから。
藤はその後1982年になってミュージシャンの宇多田照實と再婚。翌年一人娘の宇多田ヒカルが生れます。1988年頃より精神のコントロールができなくなり、家族間のトラブルを繰り返した挙句、2013年に逝去。宇多田ヒカルの「花束を君に」は母に捧げるバラードといわれています。私は以前、この曲についてここで書いたことがあります。*
(この稿、続く)
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