教員の時間外労働の扱いについて、
文科省と財務省が真っ向から対立している。
双方の事情は分かる。それにしても分からないのは、
調整額増額に反対する現職教員たちの考え方だ。
という話。
(写真:フォトAC)
【文部科学省VS.財務省】
空前の教員不足・志願者減少を背景として、とりあえず教員の時間外手当をどうするかという点で、文科省と財務省が真っ向からぶつかり合っています。
昨年4月の段階で過労死ライン(残業月80時間)を越える教員が小学校で約14.2%、中学校で36.6%もいる状況で、仕事も減らせないし教員も増やせないことを思い知っている文科省は、ならば金しかないと、現在4%の教職調整額を一気に13%に増やす大胆なし提案をし、一方ビタ一文出す気のなかった財務省も、時間外労働の平均を20時間程度に抑えることを条件にとりあえず調整額を10%にしましょう、そのあとの様子を見て、調整額を廃止して残業代を出すことにしましょう、と一応の譲歩は見せるまでになって来ました。それが先週末までの状況です。
(ここに至るまでの経緯は別ブログで追っていますから、そちらも見ていただけるとありがたいですが――)
もちろん財務省の譲歩の背景には、今回の総選挙で大躍進を遂げた立憲民主党や国民民主党が給特法(調整額)の廃止や見直しを公約に掲げていることもありますし、「定額働かせ放題」がこれだけ知られてきた中で、一銭も出しませんと突っ撥ね続けていては教員不足の責任を問われかねないという見方もあったからでしょう。
もちろん財務省の譲歩の背景には、今回の総選挙で大躍進を遂げた立憲民主党や国民民主党が給特法(調整額)の廃止や見直しを公約に掲げていることもありますし、「定額働かせ放題」がこれだけ知られてきた中で、一銭も出しませんと突っ撥ね続けていては教員不足の責任を問われかねないという見方もあったからでしょう。
さらにそこにはボーナスや退職金にも反映する調整額を10%以上にされてはたまらん。それよりは残業時間を20時間以下に抑えてもらったうえで、時間外労働に支払った方が安上がりになるとの計算があったに違いありません。ボーナスや退職金に対する支払いは減るし、固定された調整額と違って、残業時間には圧縮できる可能性があります。
ただし私は思うのです。今の状況でどんなに搾り上げたところで、仕事そのものが減らない以上、時間外労働を平均20時間に抑えるなんて不可能です。登校日数は月20日前後。それに対する時間外労働が平均20時間なら、毎日1時間の残業で済ませるしかありません。1時間なんて、今日の授業の片づけをして明日の授業の準備をしていたら、あっという間に過ぎてしまう時間です、達成できるはずがない。
【学校が背負ってきたもの】
平成に入って以来令和を合わせて36年の間に、学校が新たに背負ったものを、思いつくままに列挙すれば、
「総合的な学習の時間」「特別の教科『道徳』」(この二つには評価を文章で行う必要がある)、「小学校英語」「プログラミング学習」「キャリア教育(職場実習やキャリアパスポート)」「ICT教育」「環境教育」「薬物乱用防止教育」「全国学力学習状況調査」「教員評価・学校評価」「学校評議会」「地域連携」等々。
昔からあったものの困難のレベルが飛躍的に高まったのが、「いじめ問題」「不登校問題」、「保護者対応」「コンプライアンスや法令順守の問題」、「教師自身の体罰・パワハラセクハラ問題、それに対応する研修」等々々――。
その間になくなったのは身体測定における「座高の検査」と、増やして減らした、つまり差し引きゼロの教員免許更新制だけだと言われています。
昭和時代ですら、独身のころの私は授業準備や学級通信やらで毎晩9時10時までも学校にいたのですから、そこに平成の仕事が積み上がったらひとたまりもないはずですが、幸い私の
場合は爆発的に仕事が増え始めた平成期、すでに授業や生徒指導はあまり苦労することなくできるようになっていましたので、何とか耐えられました。
すごかったのはその平成の初めの「失われた20年」、その時期に30倍近い競争率を勝ち抜いてきた教師たちです。今、まさに管理職として働いている世代から中堅の40歳前後まで、その人たちがとんでもなく優秀で、次々と押し寄せる新たな仕事を軽々と(というほどではないかもしれませんが)背負ってしまったのです。
教師たちはもっと早くに音を上げるべきでしたが、その人たちの優秀さが、今日の困難の要因のひとつだと言っても過言ではありません。
【それぞれの立場は分かる、しかし現職教員の気持ちは分からない】
文科省は学校現場の状況を少しは知っていますので残業代などとんでもないと考えます。教員が現在行っている時間外労働すべてに支払いをしていたら、とてつもない額になってしまいますし、残業代を支払うと言いながらその一部しか支払わなかったら争議の火種です。かと言って教員の数を増やすことも業務内容を減らすこともできないことは、これまでの経緯ではっきりしていますから、できることは調整額の上乗せくらいしかないのです。
一方、財務省はそのあたりの具体的な事情が分かっていませんし、仮に分かったとしても減税と大判振舞いを約束して大躍進した野党の顔も立てなくてはなりませんから、金を出すことには慎重です。学校にもっと努力して時間外労働を減らしてほしいと言うのも無理なからぬことです。
分からないのは今年5月、文科省の中央教育審議会特別部会が「調整額を10%以上に」と進言した際にたちどころに記者会見を開いて、
「点数を付けるとすれば0点だ。審議を最初からやり直してほしい」
と噛みついた「(給特法を考える)有志の会」です*1。現職教員を中心に結成されたグループのようですが、このときマスコミは一斉に記者会見に飛びついて、《現職教員の総意は調整額増額にはなく、残業代を創設することだ》と報じました。この件は立憲民主党などの選挙公約に調整額の廃止が載せられたことにも影響したと思いますが、総意でなかったことは財務省が《調整額の増額ではなく、残業代に応じる》との観測球を飛ばしたときの、SNSの沸騰を見ればすぐに分かります。
「残業代が出されるようになったところで働きに応じて払われるはずがない、調整額がなくなったら無理にでも残業して減額分をとり戻さなくてはいけないなないか」
が残業代に反対する理由です。
もちろん「有志の会」を始めネット上に存在する何十万人という《残業代に賛成する人々》にも言い分があって、
「調整額増額に反対するのは金のためではない。4%が10%以上になっても、『定額働かせ放題』の状況は変わらない、それが反対理由だ。私たちが求めているのは働きに対する正当な対価であり、その先に見据えているのは、残業代を抑制したい管理者側によって、大幅な業務削減が行われることである」(大意)
なるほど、それも理解できる。しかし裏を返せば、彼らは残業代が設けられれば行政が誠実に支払うだろうと考え、それができなければ業務を削減するに違いないと信じているわけで、どうしてそんなふうに素直になれるのか、今度はそちらの方が分からなくなります。
ところがある日、私はSNSの中に答えらしきものを発見するのです。それは次のようなひとことによって知らされました。
「先生たち! 校長先生はたいへんな権限を持ってるよ。校長先生にしっかり働いてもらいましょう」(これも大意)
(この稿、続く)