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「校長の仕事、謎に包まれているが実はこんなふう」~校長先生のお仕事②

 授業中以外の教員の姿を想像することは難しい。
 校長の仕事は、その教師たちの目からも隠されている。
 何をしているのか分からない校長職だが、
 それを万能のように考える人もいるのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【校長は巨大な権限を持っている】

「先生たち! 校長先生はたいへんな権限を持ってるよ。校長先生にしっかり働いてもらいましょう」
 SNSの中にこの文章を見つけたとき、私は軽いめまいのようなものを感じました。ここまではっきりと異なる印象を突きつけられることはめったにないからです。
「犬は哺乳類ではない」とか「上杉謙信は女性だった」と言われるくらいの違和感があって、だからこそ捨て置けない、一応は考えてみようという気にさせます。ここまで言い切るからには何らかの根拠、あるいは思い込みがあるはずです。

 ただし、その文章にさらに詳しい説明はなく、あとで対応しようと思っているうちに二度と見かけなくなってしまったのでそれ以上は分からずじまいに終わっています。あの人は何を考えていたのでしょう? 校長先生の姿に何を発見したのでしょう?

【私の見てきた校長たち】

 私自身が児童・生徒だった時代、校長先生は全校朝会や入学式などで見かける以外、どこにいるのか分からない人でした。たまにすれ違うこともあったのかもしれませんが、記憶にありません。
 その理由は教員になってから一部わかりました。時期によってですが、とにかく出張が多く、週の半分以上どこかに出かけているときがあります。ただし丸一日出ていることは稀で、たいていは午後だけ、午前中から出る場合も学校で一仕事してから出かけられるような時刻設定になっているみたいです。しかしそれでも年単位で通してみると、外出している時間より校内にいる時間の方が圧倒的に長いのですが、これが、ほとんどの時間を校長室に籠っているので何をしているのか分からないままです。
 同じ管理職でも副校長先生(教頭先生)の方は職員室にデンと構えて仕事をしていて、その様子はもちろん、内容の一部ものぞけますから大まかに何をしているのかはわかります。しかし校長先生の方はナゾのままです。
 ただ、どうやら時期によっては相当に暇らしく、私が教員になってから2校目の校長先生はしょっちゅう庭を回って生徒が窓から飛ばした紙飛行機を拾ったり、樹木の剪定が好きで大きなハシゴを持ち出しては高いところに登り、枝を払い落していたりしました。素人仕事なのにやりすぎるところのある方で、3年の在任中に4本の木を枯らしたことで記憶に残る先生となりました。
 生徒も校長先生というのは紙飛行機を拾って木を切る人だと思っていた節があり、私に向かって「校長先生って暇なの?」と訊く子もいて困ったことがあります。
 そんなこと、知りません。


【校内の季節労働者たち】

 自分自身が校長になって分かったことですが、校長職というのは季節労働者みたいな面があって、校長会や教育委員会で自分の所属する内部組織が立ち上がる時期や人事の動く10月から翌年5月くらいまではとんでもなく忙しいのに、6月から9月くらいの間は呆れるほど暇な時もあるのです。その点で2月~5月、特に4月に大きな仕事が集中する養護教諭や事務職と似ています。で、それ以外の暇な時期は何をしているのかというと――。

 平成に入ってからは「校長は職員の授業を観てきちんと指導の手を入れるように」という指示もあって授業中の教室に積極的に出入りするようになりましたが、昭和から平成も20年くらいまでの校長先生は、教室はもちろん職員室への出入も遠慮して、校長室で静かにしていたのです。「副校長(教頭)先生は職員室の担任」と言われたように、校長以外のすべての先生には持ち場があって、簡単には侵してはならないと思われていたのです。ですからおとなしく校長室に籠っているか、それができない校長先生は庭に出て木でも切るしかなかったのです。

【人事権も予算編成権もなく、挨拶をして責任を取るのが仕事】

 校長の仕事なんてそんなものです。私は社会科の教師でしたが、政治の学習の最初には必ずこんな話をしました。
「政治的に人々を動かす力、それを権力といいますが、その権力の源は『人事権』と『予算編成権』です。《自分はこういう政治をしたい》と思うことがあったら、その分野に優秀な人を配置して、予算も多くつぎ込めばいいのです。暴力や脅しでやらせるのは、少なくとも“政治”ではありません」
 その定義からすれば、人事権も予算編成権もない校長職は、あきらかに権力ではありません。やれることもごくごく限られています。

 校長になり立てのころ、先輩校長から、
「校長の仕事はなあ、究極、挨拶をして責任を取ることだ」
と言われたことがありますが、とにかく挨拶は多い。
 みんな聞きたいわけでもないのに、会を締めやすい(閉めやすい)というだけの理由で、児童生徒会など、どんな小さな会合でも必ず最後に「校長先生の話」を持ってきます。しかもほとんどの場合、児童生徒はあまり聞いていないのに、困ったことに先生たちの一部がメモを取りながらしっかり聞いていて、話がつまらないと平気で途中でノートを閉じたりするのです。本当に気が休まらない。
 いい話ができるとやはり教師は教師、きちんと評価しといけないという本能が働くようで、あとで必ず誉めてくれます。嬉しいことは嬉しいのですが、それって調教されているも同じじゃないですか。

 もうひとつの責任の方は、職員がUSB1本なくしただけでも首が飛ぶ話でこちらも気が休まらない。校長会や教育委員会には《不祥事があったら残りの勤務年数の長い職員よりも、定年間近の校長の方が辞めるべきだ》という空気があって、私もそのつもりでいましたが、やはり気分のいいものではありません。
 大して役にも立たないのに修学旅行について行くのも、いざとなったら責任を取らせるためのお守りみたいなものなのです。

【もしかしたら校長は権力者に見えるのかもしれない】

 話は元に戻ります。
 そんな「人事権も予算編成権もなく、挨拶をして責任を取るだけの校長職」を、私が最近みたSNSのコメント作成者はどんな観点から、
「校長先生はたいへんな権限を持ってるよ」
と言い始めたのか、校長に何ができると考えているのか――。よくよく考えたら思い当たることがないわけではありません。
 私はしませんでしたが、確かに、その気になれば振り回せる権力もあったのです。
(この稿、続く)