調整額増額が、教師たちに著しく不評だという。
はて? それでいいのか? 大変だぞ。
教師たちも正当な代表者を失い、
あらゆる人たちが、教師を代表する。
という話。
(写真:フォトAC)
【「調整額10%以上」は撤回してください】
先週4月20日朝のテレ朝ニュースで『教員の給与増額案 教員ら「撤回していただきたい」』という内容の話があり、かなり気持ちに引っかかりました。
現役の高校教員 西村祐二さんが、
「(調整額増額の方向性について)教員や教員志望の学生の声をちゃんと聞いたうえで、撤回していただきたいと強く主張します」
と訴えたのだそうです。Yahooニュースにもありましたから、まだ見られるようでしたら見てください。
内容は、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会(中教審)の特別部会で19日、残業代の代わりに支給している現行の「教職調整額」を4%から10%以上に引き上げるという素案が示されたに対し、現職の教員がかみついたという話です。
調整額を規定したいわゆる給特法を残すということは「定額働かせ放題」と揶揄される教員の働き方を固定化するもので、何ら解決にあたらない。だから「撤回」して民間と同じように残業代制度を設け、予算のタガで締めることによって長時間労働を改善するようにするのが本筋だ、というのです。おかげで一昨日も昨日も、ニュースは10%以上増額に批判的な記事ばかりです。先生たちはそれでいいのでしょうか?
【あんた、誰?】
とりあえず私の最初の疑問は「西村祐二さんって、あんた、誰?」です。
現役の教員らは抜本的な制度の見直しを訴えています
とテレ朝が言うくらいですから、それなりの地位のある教員の代表者なのでしょう。しかし労組の委員長といった感じには見えないし、若すぎる気もする・・・。
先に答えを言ってしまうと現役の教員らでつくる「給特法のこれからを考える有志の会」という任意団体らしいのです。別の新聞記事で見ました。
給特法の抜本的見直しを求める署名を約8万3000筆も集めたらしいのですが、それでも決して教員の代表者ではありません。「調整額引き上げ撤回」は教員の統一された意見でもないはずです。
なぜなら・・・。
【校長は『残業代の原資が尽きたから、通知票は書かなくていいや』と言うだろうか】
給特法がなくなって残業代制度が創設されても、予算は無制限ではありませんから当然、管理者が仕事の取捨選択を行う――それによって仕事が整理され、減らされるから長時間労働が改善される、というのが残業代を要望する人たちの意見ですが、この問題は現場でどうこうできるものとはとても思えないのです。
教員たちの残業時間が予算の枠を越えはじめたとき、校長は現場で「原資が尽きそうだから、今学期から通知票は廃止しよう」と言ってくれるのでしょうか?
「キャリア・パスポートは廃止しましょう」
「準備のたいへんな小学校英語。本校ではもうできないな」
「修学旅行はやめよう」
「卒業式も内々で済ませよう」
と言えるかどうか――。
一般教員の管理職に対する期待と思い込みには大きすぎるものがありますが、一切しがらみがなく、のちのち教育改革について本でも書いたり講演会をしたりして食って行けばいいやと考える民間人校長でない限り、普通の校長は教育委員会や校長会、地域の人々の思惑にがんじがらめで、思い切った改革などできるはずがないのです。
普通の校長は部活ひとつ潰せません。人数が少なくなって成立が難しい部活なら2年~3年かけてなくすこともできますが、4月初日、部員が40人もいるような部に向かって、
「顧問になってくれる人がいないので、今日で、この部は解散します」
と言える校長は、おそらく日本中にひとりもいないでしょう。いたら大問題になってマスコミを賑わしているはずです。
おおもと(政府・文科省)で仕事を減らさない限り、現場では残業の可否をめぐって毎日管理職と教員がぶつかり合い、鬱屈がたまり続けることは目に見えています。減らせない仕事が膨大にあるからです。
【とりあえず、残業手当のために学校にいよう】
反目しあうのは管理職と教員の間だけではありません。教員同士の気持ちも穏やかではありません。いくら多忙といっても絶対に残業のできない人もいるからです。
まだ子どもが小さかった頃の私がそうで、帰り支度をしてから体育館で部活指導をし、終わるとそこから玄関を抜けて車に乗り込み、保育園で子どもを受け取らなくてはなりません。妻も教員で退勤時刻に校門を飛び出すのですが、少し遠いところの学校だったので通勤に時間がかかり、家について食事の支度が終わるころ、私が子どもを連れて帰ってくるというタイミングになっていました。
そこから食事をして、子どもを入浴させ、歯を磨いたり読み聞かせをしたりしているとすでに8時半。私は子どもを寝かせつけながらそのまま眠り、夜中の3時に起きてそこから持ち帰りの仕事です。妻は食器の片づけをしてから入浴。上がってからは12時過ぎまで持ち帰り仕事をして就寝。私たちはまだ若い夫婦でしたが、一緒に寝ている時間はわずか3時間。しかも眠るのみです。
私たちと同じような生活をしている教員は世の中に大勢いるはずですが、調整額がなくなるとこの人たちの給与が一人14,000円ほどなくなってしまいます。二人で28,000円。それで浮いたお金は残業手当の一部になりますから、彼らが貧しくなった分、他の誰かが潤うわけです。この不公平にどれだけの人が耐えられるでしょう。
持ち帰り仕事をする人たちのためにリモートワークの仕組みを整え、家でやった仕事についてもカウントできるようにしようといった提案もありますが、そんなものいつになったらできるのか、また実際に可能なのかもわかりません。
夫婦ふたりで失った調整額ですが、一部でも取り戻さないわけにいきません。結局夫婦でやっていた子育てもひとりでやって、とりあえず残業代のために学校に残ってもらうようにしましょう。不正に残るわけではありません。家でやっていた分を学校に移すだけです。それが良いこととは、とても思えないのですが・・・。
【昔の強い労働組合が残っていれば――】
私は残業代制度の創設には反対します。
おおもとで仕事を減らされない状況で、残業代の扱いを現場に任せるのは、管理職にとっても一般教員にとっても不幸です。
調整額がなくなって残業代に代わっても、子育てや介護のために学校に残って仕事をすることができない人はいくらでもいます。この人たちも幸せではありません。また、残業代は青天井ではありませんから、ある時間以上はサービス労働になります。すると自由に残業のできる人の中にもストレスが溜まってきます。
まず調整手当を増額させる。それを既得権として、さらに仕事の削減あるいは増員を求めていく、そのやり方しかないと私は思うのです。ベストではないがベター。
それを誰かが、
撤回していただきたいと強く主張します
と軽く一蹴し、メディアがあたかも教員の総意であるかのように扱う――昔の強い労組が残っていれば、こんなことにはならなかったのに。
――というのは、また別の話でしょうね。