カイト・カフェ

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「令和の不良少年たちよ、輝け!」~教育の最前線をどこに置くか③

 校則やぶりは最年長の不良少年少女の特権であり、
 年少者や新参者の侵してはならない領域である。
 そしてそれは目に見える形で表現されなければならない。
 令和の不良少年少女たちよ、今や新しい道具が必要な時だ。頑張れ! 
 という話。(写真:フォトAC)

【校則破りはオレたちの特権だ】

 先週土曜日のYahooニュース『劇団ひとり 校則の見直し広がる動きに「若者って、ルールを犯したくなる。今度は社会のルールを犯すかも」』のコメント欄で、もうひとつ面白かった記事は次のようなものでした。
 
 昔の学力が低い学校では校則を破れるグループとそうでない普通の生徒が存在してた。
 そのグループは自分達以外の生徒には校則を守らせるように圧力をかける。
 破れるのは自分達の特権だと思ってるからね。
 そうやって昔は学校が生徒をうまくコントロールしてた。
 今そんな事は出来ないんだろうけど。
 
 ああこれもよく知った世界なのに、どうしてこういう考え方ができなかったのかと、少々悔しい気持ちがありました。特権なのだ。

 初めて中学校で担任したクラスが荒れに荒れたとき、私にも3年生の男子が訊ねて来てくれて、
「先生、困ってるでしょ。俺たちが何とかしてやろうか」
と声をかけてくれたことがあったのです。
 私のクラス以外はとても落ち着いた学校で、男の子たちもワルという感じではなかったのですが、生返事で済ませたのはあとで正解だったと分かりました。クラスの問題にさらに新たな要素が加われば、よけいに面倒になるだけでした

【ワルの分別と序列の道具】

 その後も、行く先々の学校で3年生が1年生を呼び出して指導したとか、生意気だと締め上げられたといった話が枚挙に暇ありませんでした。中には小学校でものすごく大変だと事前アナウンスの大きかった6年生たちが、入学前に中学生が締め上げられ、進学してきたときには借りてきた猫でももっと態度は大きいだろうと言われるほど、小さくなっていた例もありました。
 ただし締め上げられた子たちがその後もずっとおとなしいことは稀で、いつの間にか上級生と仲良くなり、堂々と校則違反のできる日を夢見て日々精進するのが普通でした。その日まで、ちょっとずつ悪くなっていくのです。
 
 スカートの丈がどんどん短くなるとか伸びるとか、襟元のリボンのだらしなさがだんだん昂じてくるとかルーズソックスの長さだとか。ズボンが太くなるとか上着が長くなるとか裏地に刺繍がつくとかつかないとか、あるいはネクタイの結び目をどこまで下げるのかとか。
 さらに言えば、左眉の上に絆創膏を張れるのは3年生の一部だけだとか、眉を剃れるのは上位3名だけだとか、ツーブロックだとか、ピンクのパステルカラーの下着は2年生からブルーは3年生でも一部だけとか――違反や符丁の道具はさまざまで、いつも変化しています。しかし学校がよほど平和ですべての子どもたちが自尊感情に満たされていない限り、目印の道具が何もないということはありません。

【令和の不良少年たちよ、輝け!】

 さて、今から30年ほど前、日本中の学校で学生服やセーラー服がブレザータイプに変えられ、様式化した昭和の不良スタイルが消されてしまうという大事件が起こりました。困った平成の新興不良少年たちはネクタイを下げるとかスカートをたくし上げるとか、髪を金髪するとかルーズソックスを履くとか、さまざまに工夫して、ギャルだのギャル夫だのガングロだのといった新しい不良文化を創造したのです。
 
 ギャル文化が一般化して不良の手から離れ、やがて廃り、その後うまれた新しい文化もお節介な大人たちによって潰されてしまいます。誰でもツーブロック、誰でもカラー下着の時代が到来すれば、平成の不良文化は終わりです。つまり令和も5年に至って、様式化した平成の不良スタイルが根底からすくわれようとしているのです。
 これから校内秩序をどう再構成するか、どんな道具をもって団結や序列を示すのか、令和の不良少年たちに実力が試されるときです。もちろん先生たちもそうやって(中略)学校が生徒をうまくコントロールできるよう、研究と研鑽を深めるに決まっています。
(この稿、終了)