カイト・カフェ

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「悟りは開いたが、まったくやる気のない教祖」~父が子に語る仏教概論②

 世界で哲学が花咲いた奇跡の紀元前5世紀前後、
 北インドではシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタが悟りを開いた。
 ところがこの人、まるでやる気が感じられない。
 ほんとうにアンタ、お釈迦様か?

という話。

f:id:kite-cafe:20200207080328j:plain(「エローラ石窟群」 PhotoACより)

 仏教の勉強をしたいという息子のために、簡単な授業を始めました。
 個人的な家庭内の勉強ですが、もしかしたらこれから京都・奈良に修学旅行で生徒を引率する先生や歴史学習のバックグラウンドとして仏教の知識が欲しい先生、あるいは教員でなくても“ちょっと仏教をかじってみようかな”と軽い気持ちで思っている人にも役に立つのではないかと思い、しばらくここで話してみようと思います。
 

【奇跡の紀元前5世紀】

 仏教を始めたのはお釈迦様だということは誰でも知っています。しかしシャカは彼の名ではなく、彼を生み出したインド北部の部族またはその国の名です。私たちが釈迦と呼ぶ人はその国の王子で、名をゴータマ・シッダールタと言います。ただし表記としてはシッダールタの代わりにシッダッタが使われることもあり、悟りを開いて、つまり宇宙や世界の真理を理解してからはゴータマ・ブッダ釈迦牟尼(シャカムニ)、世尊、釈尊などさまざまな呼称で呼ばれています。

 いつ頃の人かというと、一般には紀元前5世紀前後だと考えられていますが、正確な生没年は分かっていません。80歳で亡くなったということですので、私はおおよそ紀元前540年ごろから紀元前460年くらい生きた人だと思っています。
 ところがこの紀元前5世紀前後というのは、世界的に見るととても異常な時期なのです。

 同じ時代に生きた人物として挙げられるのは、中国では孔子(紀元前552年または紀元前551年~紀元前479年)、ギリシャピタゴラス(紀元前582年~ 紀元前496年)、ヘラクレイトス(紀元前540年ごろ~ 紀元前480年ごろ)、少し下ってソクラテス(紀元前469年ごろ ~紀元前399年)、プラトン(紀元前427年~紀元前347年)。つまり世界中でほぼ同時に、宇宙や世界の本質を問う哲学が興った時期なのです。

 シルクロードのもととなる情報の通路でもあったのでしょうか。内容として特に似たところがあるわけでもありませんから、偶然一致したと考えるほうがいいのでしょうが、いずれにしろ大変な時代で、
「紀元前5世紀前後、釈迦、孔子ピタゴラス、少し下ってソクラテスプラトン
と覚えておくのは何かと便利です。
 
 

【釈迦前史】

 悟りを開いてブッダなどと呼ばれる以前のゴータマ・シッダールタは王子ですから王宮の中で何不自由のない生活を送りながら成長します。母親はゴータマを産んだ七日後に亡くなっていますが、他の点では満ち足りた半生で、16歳(または19歳)で結婚し、29歳で一人息子のラーフラをもうけます。ラーフラはのちに釈迦の一番弟子になります。

 父親になったその29歳の年、ゴータマは突然出家して王宮を出ます。彼には以前より深い悩みがあって、人はなぜ老い、病となり、死に、そしてそもそも生きなければならないのか、その答えを探ろうとしたのです。この四つの苦しみ(生老病死)を「四苦」といって、中に「生きること」を入れたところがゴータマの独創です。
*「四苦」にあと四つの苦(「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」)を加えたものを「八苦」と言います。四苦八苦と一口に言っても、全部で12あるわけではありません。

 当時のインドはバラモン(またはブラフマン、中国語では梵天)を主神とするバラモン教が支配的宗教でしたが、そこに答えのないことはすでに勉強済みでした。そこで当時有名だった何人かの思想家の間を回って教えを受けようとしたのです。
 六師外道(りくしげどう)はバラモン教の道から外れた6人の思想家という意味で、中には唯物論、(運命)決定論、刹那主義、不可知論など様々に先駆的な思想がありましたが、どれもゴータマを満足させるものではなく、そこで彼は5人の仲間を引き連れ、苦行の旅に出るのです。
*ちなみに「六師外道」も調べてみるとかなり面白いもので、そのうちのマハーヴィ-ラの思想はジャイナ教という宗教にまとめられ、今もインドの支配層の間で大きな力を持っています。

 断食や瞑想を徹底的の行う6年間の苦行の末、35歳になったゴータマはそこにも答えのないことを知って放棄します。5人の同行者はこれを堕落と考え、ゴータマを蔑みました。

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【悟りは開いたが、まるでやる気のない教祖】

 苦行を放棄したゴータマは川で身を清めると村娘のスジャータからミルク粥の布施を受け、体力を回復させると、のちに菩提樹と呼ばれることになるピッパラ樹の下で瞑想に入ります。そこで悟りを開き、ブッダ(覚醒者)となるのです。

*日本には「スジャータ」という名のコーヒー用ミルクがあります。「菩提」は煩悩を断って悟りえた無上の境地。一般人に対して使う場合は死後の冥福のことを言います。

 彼はさらに七日間瞑想を続けて宇宙と世界の原理について理解し、場所を移しながら計50日間の瞑想の末、
「自分の悟った真理は世間の常識に逆行するものであり、法を説いても人々は悟りの境地を知ることはできないだろう。語ったところで徒労に終わるだけだ」
という結論に達します。
 つまりお釈迦様(すでに悟りを開いたので以後は釈迦と呼びます)は、自分の理解した宇宙や世界の真理を、世の中にに広めようとこれっぽっちも思わなかったのです。まるでやる気がなかったみたいです。

 シャカ族のゴータマが悟りを開いたらしいという噂を聞いたバラモン教の主神(バラモンブラフマン梵天)がわざわざ降臨して、衆生にお教えくださいと頭を下げても(梵天勧請)すぐには首を縦に振りません。三度強く勧請されてようやく重い腰を上げますが、まだその段階でも「もしかしたら世の中には煩悩に汚されていない者もいるかもしれないから、とりあえず行ってみよう」程度のいい加減な気持ちだったようです。

 その意欲のなさ、いい加減さ、よく言えばおおらかさの中にこそ、のちに仏教が世界宗教となる要素とメチャクチャ厄介になる理由があったのです。

(この稿、続く)