「男は外に出て働き女は家を守る」
昔の女性たちは家庭に閉じ込められ、
自分たちを表現する手段を持たなかった。
それってほんとかな?
――という話。
(写真:フォトAC)
【もしかしたら新しい世代が古い価値観にこだわった】
時代の雰囲気というのはいつもステレオタイプ化しやすく、一度そうだと決まったらなかなか修正できないものです。
例えば昭和の結婚と言えば男女不平等の印象が強く、「嫁入り」「婿入り」あるいは「家を継ぐという発想」が強く、同居の圧力も尋常でなかったと信じる人もいますが、戦前ならともかく、昭和も40年代以降(1965年以降)になると大した問題ではなくなっていました。
私たち(70歳代)の親世代はいわゆる「戦前派」「戦中派」で、太平洋戦争前の価値観にどっぷり漬かってきた人たちですが、戦後の大転換を経験したこともあって、極端に自信のない人たちでした。いかに頑固で古臭い価値観を振り回そうとも、私たちがひとこと言えばたいていは引いてくれたのです。それが分かっているから私たちも強く言えない。親たちが“家”だの“家長”だのといった古い価値観を控えているのが分かるから、むしろこちらから持ち出して守ってやる――。その意味では古い価値観にこだわっていたのは私たちの方だったのかもしれません。
【太平洋戦争以前、この国に純粋な専業主婦はほとんどいなかった】
家事・育児は女性の“義務”、男は外に出て女は家を守るといった価値観も、実はまったく古いものではありません。
江戸時代の武家の奥方などは適切な仕事がありませんから自然と「女は家を守る」といった道徳律を持たざるを得なかったかもしれませんが、そもそも武家は総人口の6~7%。そのうち約半数が同心・足軽以下の下級武士ですから、最初から奥方がいないか、いても内職をさせざるを得ない状況です。とてもではありませんが「家を守る」ことに専念などさせておけなかったはずです。商家・農家に至っては、ほぼ確実に全員が重要な労働力でした。
明治・大正・昭和初期に至っても同様で、戦前(1930年代)、家事だけで家業(農業や商業、家内工業)などに従事しない純粋な意味での「専業主婦」は全既婚女性の10~20%だったというのが定説です*1。戦時中には国策によって「良妻賢母」「女性は家を守るべき」というイメージが広がりましたが、実際には農家や自営業の割合も巨大で、共稼ぎがほとんどだったのです。
【収入と労働時間が爆発的に増えて、家事を切り離し始めた】
ではいつ頃から専業主婦が増加して女性が家庭に縛られるようになったのかというと、基本的には日本が高度経済成長期に入った1960年代前半、男性の賃金が急上昇して夫婦を賃労働者と家事労働者に分離することができるようになってからです。
働けば働くだけ収入の増える時代でしたから「働かないのは損」だったのですが、労働の量も時間も重すぎて、家事と両立できなくなったのです。したがってどうしても同居人を持って(つまり結婚して)、賃労働と家事を分離せざるを得なくなりました。
社会には女性のための高収入でやりがいのある仕事が用意されていないという差別がありましたから、分離するとなるとどうしても女性が家事を分担することになります。すると「どうせ辞めてしまうのだから」ということで重要な仕事は女性に回されなくなり、スキルアップの機会が失われていきます。会社では窓口業務に貼り付けになり、工場では生産ラインに並ばされ、10年勤めても新入社員と同じ仕事しかさせられないとなると、会社にとっては年功序列で高賃金となったベテラン社員より新入社員の方がよほどいいわけで、いつか肩を叩かれるようになる。
「寿退社」という二重にオメデタイ言葉で女性を追い出されると、残った男たちは「24時間働けますか」と詰められ、さらに家庭から切り離されて銃後(家族)が主婦に任されるようになるのです。
【専業主婦という昭和の大ブーム】
田舎では相変わらず家庭に封じ込められた女性たちが畑仕事や家内労働に駆り出されて専業主婦になれない状況がありましたが、都会に出た大量の若者たちは田畑や家業の一部を携えてきたわけではありませんから、既婚女性が会社を辞めればほぼ確実に専業主婦となっていきます。
かくして昭和50年(1975年)前後――まさにいま話題にしている『22才の別れ』がヒットした時期に、専業主婦率はピークの70~75%にまで高まります。女性たちは社会から拒絶されて家庭に封じ込められましたが、やがてそれを積極的に望む女性も出てきます。職場に高収入でやりがいのある地位が保証されない以上、女性の自己実現は配偶者を使って果たすしかなかったからです。
当時、流行した「三高(高身長・高学歴・高収入)」という言葉は、それぞれ「見栄え(高身長)」「将来性・安定性(高学歴)」「現在の経済力(高収入)」に対応するものであって、社会的勝者の証ともいうべき三冠です。
それに対してそもそも結婚というレースのスタートラインにも立てなかった女性は「行き遅れ」だの「負け犬」だのと蔑まれることになります。意図的に非婚を選んだかどうかは問われません。また、これらの言葉が結婚に絡めて男性に使われることもありませんでした。
【ブームが去って、時になめられる】
共稼ぎ全盛の現在の専業主婦率はほぼ30%と言われ、明治大正期に近づいてきました。
「男は社会に出て働き、女は家を守る」は封建時代以来の日本の伝統などではなく、長い日本の歴史から見ると、ほんの一時の流行に過ぎなかったわけです。ブームが去って、いまや専業主婦は技能に欠け、自立できない女性のひとつの在り方として蔑まれたりする場合さえあります。しかし昭和の一時期、それは女性が求めて実現すべき一つの生き方だったのです。「22才の別れ」の主人公が煮え切らない男の元を去って、別の男性と結婚しようとする背景には、そうした事情もあったのかもしれません。
ついでに言うと(ついでに言っていい話ではないのかもしれませんが)昭和50年(1975年)、皇室では徳仁親王(今上天皇)が15歳、文仁親王(秋篠宮)10歳、清子内親王が6歳でした。美智子妃も公務に熱心な方でしたが、本質的には皇太子を支える賢い妻の役に徹した感じがあります。
遠く足元にも及びませんが、専業主婦が仕切る家庭のあり方としても、皇室は当時の日本人の、目指すべき家族モデルだったのかもしれません。
(この稿、続く)
*1:1955年の厚生省の統計では専業主婦率が74.9%にもなっていますが、これは「賃金を得ていない妻=専業主婦」という捉え方をしているためで、決して家事だけをやっていればいいわけではなかったのです。