「当世本邦都会の保育園事情」①

 実は先週、およそ一週間の間(4/2〜4/7)、東京にいる娘シーナのところに行っていました。

 シーナが産育休明けで2年ぶりに職場復帰するのに合わせて、1歳9か月の孫のバーヴも保育園に入るからです。慣らし保育の期間があって、初日・二日目は11時降園(今回、この「降園」という言葉を初めて覚えました)、三日目・四日目が給食を食べての12時半、最終日に至ってようやく4時降園なのです。フルタイムで働くシーナにはとても対応できません。そこで4人のジジ・ババを見渡したところ、一番ヒマな私に白羽の矢が立ったわけです。

 私は“子育てが趣味”と言っていいくらい好きでしたし、「オムツ交換のできる男子」「子どもと何時間でも遊べる大人」というのにロマンや誇りを感じる人間なので一向にかまわないのですが、「ハーヴと二人ボッチが長時間」という状況もこれまであまりなかったので、少し緊張しながら東京に向かいました。そして多くのことを勉強したのです。

【本邦保育園事情】

 しばらく前、「東京の孫が4月から保育園で・・・」と言うと必ず返ってきたのが「入れるといいですね」という反応、“待機児童”は誰でも知っている大問題でした。

 ところがハーヴの入園を通して分かったことは、都会といっても千差万別――郊外だから楽ということも都心に近づくほど悪いということもなく、また同じ行政区の中でも自宅のある場所によって状況が全く異なるということです。ちなみにシーナの場合は比較的厳しい行政区であるにも関わらず、自宅から徒歩で15分以内に、連れて行ける保育園が8園もあるのです。ひとつの園の玄関から道路に出ると、隣の園が2つも見えるという潤沢さ、稠密さです。
 手続き書類には8園まで書きますが、“通う”ということだけで考えるとどこに決まっても似たようなものなのです。

 じゃあどこでもいいのかというと、そういうことにもなりません。内容がこれまた千差万別なのです。
 一方に同年が6名、全園児で30名以下という保育園もあれば同年20名、全体120名といった園もあります。
 園の規模によって保育士の数が決まるので、小さな園では年齢的な偏りができてそれも気になり始めます。

 園舎がビル中と畑の隣りとではまったく違った雰囲気になります。
 広い園庭がある、園庭があることはある、隣りの児童公園(あるいはお寺)が園庭替わり、そもそも外遊びはできない――は保育内容にかかわります。
 保護者のやること(登園時の体温計測、用品のチェック等)の多寡、保育士の年齢構成、保育サービスの内容、おやつの種類。
 子どもが発熱した場合でも預かってもらえる、夜間保育が併設されている等々のサービスは親の働き方を根本的に規定します。

 そうした条件がいちいち異なっているので、通う保育園によってその子と保護者の生活はまったく違ったものになってしまうのです。
 もちろん「入れればいい」のであって、それ以上は望むべくもないのですが、考えさせられる状況です。
 

【田舎は関係ない――こともない】

 私が住んでいるような田舎は、今のところ待機児童問題も保育園によって保育内容にバラツキがあるいった問題もありません。
 保育条件は市町村内で統一されており、広い園庭に囲まれた広い園舎が基本です。保育士も潤沢――というより余り気味ですから、自然に年配の、安心して任せられる感じの人が多くなります。
 入れる側からすると、保育園や幼稚園に関しては何の問題もない、のですが、ここに実は、深刻な大問題が潜んでいるのです。それは田舎の村々が逆アマゾネス、男ばかり村になってしまうという問題です。

 平成不況の20年間に職業として人口が増えたのは介護職だけです。不況の中でも職があるということで多くが資格を取り、需要が多く待遇の良い都会に流れて行きました。その多くは女性です。
 続いて医療制度の改革によって看護師不足が起こり大病院では一気に100人もの看護師を採用するといった噂もあり、看護師資格をもった若い女性が都会に移動しました。
 そして今、待機児童が社会問題化したおかげで、都会では大量の税金が保育に投下され、深刻な保育士不足が起こっています。これも田舎が供給することになります。そしてやはり多くは女性です。
 つまり30年近くに渡って、若い女性がどんどん都会に流れてしまうのです。
 田舎が「男ばかりの都」になってしまう――。

【ハーヴの保育園】

 ところでハーヴの入った保育園は、というと、これが全くの新設園で、保育内容についてはすべてこれから、といった雰囲気です。たった1週間なのに、細々としたルールが実態に合わせて変わっていきます。しばらく様子を見ないと評価しにくいところです。
 希望の出せる8園すべての見学を果たしたシーナによると、「一番新しくて一番園舎が大きく、園庭も最大の園」だそうですが、田舎者に私からすれば、車5台も停まるといっぱいになるような園庭は「最大」という言葉を使って表現するようなものではありません。

(この稿、続く)